回想の石黒昇さん(その4) 叶わなかった『蟲師』への参加
- 2014/06/29
- 10:47

石黒昇さんはそれからも、私のアニメーション関係者へのインタビュー記事などをお送りすると、いつも感想やその人物との思い出を教えてくれて、「これは面白い。この調子でずっと続けていくと、どえらい資料になる」と励ましてくれました。 誰あろう、まだテレビアニメーションがスタートしたばかりの時代に大学の卒論として「日本のアニメーション」について書かれた石黒さんです。その方に、励ましていただけることがどれだ...
回想の石黒昇さん(その3)『王立宇宙軍』のエフェクト
- 2014/06/28
- 10:02

ロスから帰国した後、石黒昇さんは多忙を極め私も仕事が忙しくなかなかお会いする機会はありませんでした。ですが、その後も親しくしていただき、メールなどで交流を続けていました。 時には、私が石黒さんの昔の貸本時代の珍しい単行本などを見つけて手に入れたことをご報告すると、「そんな古い本は自分でも持っていませんよ」と、とてもお喜びいただき、当時にまつわる様々なことをメールで返信してくれました。 昔のアニメ...
回想の石黒昇さん(その2) 「SENSEI ISHIGURO!」
- 2014/06/22
- 09:33

「アニメエキスポ」の会場では、コスプレ大会や、カラオケ大会、上映会など、様々な日本のアニメに関するイベントが行われていました。セル画やフィギュアなどが所狭しと販売されるディーラーズルームは、販売商品の展示だけを見ていたら、まるで日本国内のイベントにいるかと錯覚するくらいでした。 この時のイベントには石黒昇さんのほかにも、スペシャルゲストとして松本零士さんや押井守さん、庵野秀明さん、北爪宏幸さん...
回想の石黒昇さん(その1) 米国での偶然の出会い
- 2014/06/21
- 10:55

『宇宙戦艦ヤマト』や『超時空要塞マクロス』、『銀河英雄伝説』など数々の名作を手掛けられた演出家の石黒昇さんと初めてお目にかかったのは、ロサンゼルスでした。 ある時、知人が米国で展開しようとしている事業の一環として現地のアニメコンベンション「アニメエキスポ」に出展するので、見にこないかと誘ってくれたのです。1996年の夏のことでした。 ちょうど「ジャパニメーション」という言葉が出て、海外での日本...
国際映画社が駆け抜けた時代(その13)
- 2014/06/15
- 08:48

■さいごに 何故あの頃、あれほど国際映画社の作品は人気があったのでしょうか。 アニメ雑誌などでも、頻繁に特集を組まれていたことを覚えている方も多いと思います。同時期に放映されていた他社作品に比べると、決してクオリティが高かったとは言えません。 しかし当時、J9シリーズのメンバーや『魔境伝説アクロバンチ』の蘭堂ヒロなどのヒーローたちに熱狂する女性ファンは結構いましたし、『銀河旋風ブライガー』の...
国際映画社が駆け抜けた時代(その12)
- 2014/06/14
- 07:35

国際映画社の最後となった作品は、1984年(昭和59年)9月にスタートした『ふたり鷹』でした。原作は、新谷かおるさんが『少年サンデー』に連載されていたバイクをテーマにした人気マンガです。 それまでオリジナル作品を数多く手がけてきた国際映画社としても、初のメジャー少年週刊誌連載のアニメ化です。番組スポンサーの倒産などでその頃悪化しつつあった状況を、この人気作のアニメ化によって好転させたかったので...
国際映画社が駆け抜けた時代(その11)
- 2014/06/14
- 06:01

1984年、『宗谷物語』の放映と同時期に、『超攻速ガルビオン』も始まっています。人気マンガ家・たがみよしひささんの斬新なキャラクターと、シャープなメカニックデザインが魅力的でした。 山本正之さんの洒落たポップス調の主題歌も、疾走感のある作画と相まって、一部では話題を呼びました。ただ残念ながら『ガルビオン』はスポンサーの倒産により、ストーリーがこれからというところで急遽終了してしまいます。 総監...
国際映画社が駆け抜けた時代(その10)
- 2014/06/08
- 06:16

1984年(昭和59年)になると、異色作『宗谷物語』が始まりました。番組提供は、『一休さん』や夕方の再放送枠でもおなじみだった、日本船舶振興会です。 スポンサーが日本船舶振興会となったのが大きな理由だったのか、この作品はロボットやギャグ、少女モノなど、これまでの国際映画社作品とはまったく色合いが違いました。 後に南極観測船となった宗谷が辿ってきた数奇な歴史を、その時々の宗谷にからんだ様々な人たち...
国際映画社が駆け抜けた時代(その9)
- 2014/06/07
- 10:08

『亜空大作戦スラングル』のスタートした1983年(昭和58年)には、『コロコロポロン』の後番組として同じく吾妻ひでおさん原作の『ななこSOS』が始まりました。 前作の『コロコロポロン』が、原作の絵のラインを極力再現しようとしていたとすれば、『ななこ』は、二宮常雄さんによる大胆な解釈がとてもハマった魅力的なキャラクターデザインとなりました。 視聴者ターゲットも、『コロコロポロン』の時のように無理...
国際映画社が駆け抜けた時代(その8)
- 2014/06/01
- 06:25

『亜空大作戦スラングル』の後半からの路線変更では、オープニングも一新されました。 片桐圭一さんのシャウトとバリバリのホーン、そしてチョッパーベースが印象的な山本正之さんの「亜空大作戦のテーマ」から、後半は元スペクトラムの新田一郎さん作曲の、ホーンセクションのノリが格好良い「FIGHTING ON」に変わりました。さながら“ファンク”から“ブラスロック”へ、という形の移行でしょうか。 ただし、音楽は山...