1977年の出版ラッシュ②
- 2015/02/28
- 08:29

■ 1977年の衝撃(後編) 1970年代頃の作品は、作画監督によって毎回絵柄が違うことも多かったので、いつのまにかお気に入りの回のスタッフの名前は、自然と意識するようになってました。 例えば、吉田竜夫さん、須田正巳さん、金山明博さん、荒木伸吾さん、小松原一男さん、野田卓雄さん、杉野昭夫さん、岡迫亘弘さん、宮本貞雄さん、二宮常雄さん、河合静男さん、塩山紀生さん、佐々門信芳さん、高橋信也さん、石黒昇...
1977年の出版ラッシュ①
- 2015/02/22
- 10:56

■ 1977年の衝撃(前編) 『宇宙戦艦ヤマト』劇場版が公開されたのは、1977年(昭和52年)8月でした。この年の8月から11月にかけては、アニメ出版史の中でもとても重要な時期になります。僅か4ヶ月の間に、それまでにはなかったアニメ関連のムックや、増刊などが立て続けに出版されたのです。 私は当時十代でしたが気付いたら、この『宇宙戦艦ヤマト』劇場版公開前後から始まった空前のアニメブームの真っ只中...
タツノコプロ出身のイタリア人アーティスト④
- 2015/02/21
- 08:27

その後、私も時間があまり取れなくなり、スタジオから足が遠のきました。そんな時期に、ロベルトさんはいつしかタツノコプロを離れていました。いろいろと思うこともあったのでしょう。 元々才能のあるアーティストでしたから、以降は活躍の場をゲーム業界に移されました。様々な人気ゲームのキャラクターデザインなどで、腕をふるっておられるようです。 ただ、彼の手によるタツノコの新作テレビアニメを見ることが出来なかっ...
タツノコプロ出身のイタリア人アーティスト③
- 2015/02/15
- 08:42

ロベルト・フェラーリさんは、当時鷹の台のタツノコプロスタジオの近所に、アパートを借りていました。言葉はもちろん、まったく生活習慣の違う日本でも、絵描きとして前向きに仕事に向かっていたのです。 新作もなかなか決まらない不遇の時代でしたが、決して腐るようなことはありませんでした。スタジオにお邪魔した際も、ロベルトさんが真剣にプロレス雑誌を模写し、筋肉の描き方を研究している姿を見かけたことがあります。...
タツノコプロ出身のイタリア人アーティスト②
- 2015/02/14
- 10:33

残念ながらロベルト・フェラーリさんが来日した90年代後半のタツノコプロは、新作もあまり決まらず営業的には苦闘中の時代でした。 作画や美術・背景などのスタッフもスタジオに常駐しておらず、作品が決まればその都度集められるような体制でした。 ロベルトさんもオリジナル企画のために様々な絵を描いていましたが、いずれも実ることはなく、旧作ビデオソフトのパッケージイラストなどの描き下ろしの仕事がメインだったよ...
タツノコプロ出身のイタリア人アーティスト①
- 2015/02/08
- 10:24

タツノコプロ出身のアーティストと言えば、天野嘉孝さんや、河井ノア(下元明子)さん、高田明美さんなど、キャラクター室に在籍していた方がまず思い浮かびます。 そして、内山まもるさんや森藤よしひろさん。『ヒット・エンド・ラン』のあや秀夫さんや『こちら葛飾区亀有公園前派出所』でおなじみの秋本治さんなど、マンガ家も多数いらっしゃいます。 いずれの皆さんも、吉田竜夫さん生前のタツノコプロ全盛期に在籍しておら...
『ルパン三世』の第1、第2シリーズのDVDマガジン刊行
- 2015/02/07
- 09:09

1月27日の読売新聞朝刊に、講談社の『ルパン三世 DVDコレクション』創刊のカラー広告が掲載されました。 モンキー・パンチさんの原作は、元々『漫画アクション』に連載されていましたし、最近でも『ルパン三世 OFFICIALマガジン』も同社から発刊されています。 人気の第1シリーズと第2シリーズのDVDマガジンでしたら、それなりの売り上げも見込めるでしょうし、なぜ版元が双葉社でなかったのは少々疑問で...
『電光空手打ち』とまんが・アニメにまつわるお話 その4
- 2015/02/01
- 07:57

吉田竜夫さん率いるタツノコプロは、当初はマンガプロダクションとしてスタートしましたが、その後、タツノコプロでアニメを手掛けることになりました。その際、マンガと映像の関係性を熟知していた天馬正人さんのアドバイスはかなり大きかったと思います。 アニメ第一作となった『宇宙エース』の企画者に天馬正人という名も入っていることからも、そのことは分かります。 高倉健さんの訃報を伝える新聞記事から、デビュー作『...