荒木伸吾さんの想い出 その5
- 2021/12/01
- 06:30
■はじめに 5
荒木さんは劇画家時代から、ご自身の世界を確立していらっしゃいました。あの繊細かつリリカルで美しくもある荒木さんの世界は、劇画時代にそのルーツがあったのです。
そして、アニメーションでも、新たに荒木伸吾の世界を創り上げられました。
もちろんアニメーションは共同作業で作られるものです。ですが、どこか創り手の熱というものは作品ににじみ出てくるものです。そんな荒木さんの絵にアニメファンは魅かれていました。
それは単に流麗な絵というだけでなく、荒木さんの創りだした世界、キャラクターに魅力があったからです。
我々を魅了する、数多くの作品を手掛けてくださった荒木伸吾さん。
そんな荒木さんが2011年12月1日に亡くなられて、今年で10年が経ちました。
ですが、まだお亡くなりになられたことを、今でも信じることができません。
亡くなられる3、4年くらい前からは、毎週のように荒木さんからお電話をいただいていました。
「ああ、どうも荒木です。今、ちょっと話していいですか。実はね……」と、
今でも電話が鳴ると、荒木さんからではと、思うこともあります。
当時、力を注いでおられた新作描き下ろしマンガ『スーリール』のことや、働きながら劇画を描いていた勤労青年時代。長年のご友人である上梨一也さんと進めていらした旧作のDVDコミック化や、新作の西部劇マンガのこと、
通っているスポーツジムでの出来事、少年時代の思い出、趣味のモデルガン、暖かく迎えてくれるフランスの人々のことなど、いつもいろいろと楽しくお話しいただきました。
親しくさせていただくまで、寡黙な方だと思っていました。実はお話好きで、独特の間とテンポでゆっくりと作品の思い出や自身の絵についてなどもうかがいました。
また、色紙やイラストなどを「これ描いたから差し上げます。受け取ってくれますか」といって、突然お送りいただきびっくりさせられたことも何度もありました。
素敵な絵に感激しましたし、なによりそこまでお気にとめていただいていることにありがたい気持ちで一杯でした。
そんな荒木さんとのささやかな交流を、これから綴ってまいります。(つづく)

いただいたお手紙に描かれていたイラスト
荒木さんは劇画家時代から、ご自身の世界を確立していらっしゃいました。あの繊細かつリリカルで美しくもある荒木さんの世界は、劇画時代にそのルーツがあったのです。
そして、アニメーションでも、新たに荒木伸吾の世界を創り上げられました。
もちろんアニメーションは共同作業で作られるものです。ですが、どこか創り手の熱というものは作品ににじみ出てくるものです。そんな荒木さんの絵にアニメファンは魅かれていました。
それは単に流麗な絵というだけでなく、荒木さんの創りだした世界、キャラクターに魅力があったからです。
我々を魅了する、数多くの作品を手掛けてくださった荒木伸吾さん。
そんな荒木さんが2011年12月1日に亡くなられて、今年で10年が経ちました。
ですが、まだお亡くなりになられたことを、今でも信じることができません。
亡くなられる3、4年くらい前からは、毎週のように荒木さんからお電話をいただいていました。
「ああ、どうも荒木です。今、ちょっと話していいですか。実はね……」と、
今でも電話が鳴ると、荒木さんからではと、思うこともあります。
当時、力を注いでおられた新作描き下ろしマンガ『スーリール』のことや、働きながら劇画を描いていた勤労青年時代。長年のご友人である上梨一也さんと進めていらした旧作のDVDコミック化や、新作の西部劇マンガのこと、
通っているスポーツジムでの出来事、少年時代の思い出、趣味のモデルガン、暖かく迎えてくれるフランスの人々のことなど、いつもいろいろと楽しくお話しいただきました。
親しくさせていただくまで、寡黙な方だと思っていました。実はお話好きで、独特の間とテンポでゆっくりと作品の思い出や自身の絵についてなどもうかがいました。
また、色紙やイラストなどを「これ描いたから差し上げます。受け取ってくれますか」といって、突然お送りいただきびっくりさせられたことも何度もありました。
素敵な絵に感激しましたし、なによりそこまでお気にとめていただいていることにありがたい気持ちで一杯でした。
そんな荒木さんとのささやかな交流を、これから綴ってまいります。(つづく)

いただいたお手紙に描かれていたイラスト
- 関連記事
-
- 荒木伸吾さんの想い出 その7
- 荒木伸吾さんの想い出 その6
- 荒木伸吾さんの想い出 その5
- 荒木伸吾さんの想い出 その4
- 荒木伸吾さんの想い出 その3