荒木伸吾さんの想い出 その8
- 2021/12/19
- 06:30
荒木さんとは『まんだらけZENBU』の取材以降、お話していただける機会がだんだん増えるようになりました。
ご友人である金山明博さんの個展や関係者のパーティーなどでお目にかかると、手招きされてこれからとりかかろうと思っているマンガ作品の構想をお話しいただいたり、執筆中の原稿やイラストのコピーなどを「ここまで描いているんですよ」と、微笑みながら見せてくださいました。
荒木伸吾さんと金山さんは出身地こそ違いましたが、同い年で子どもの頃手塚治虫さんの作品に出会い衝撃を受けてマンガ家を志されました。
その後の歩みも奇しくも共通していらっしゃいます。お二人とも戦争でお父上を亡くしていることもあり、いったんは就職の道を選ばれそれぞれ鉄工所に勤務しました。
まだ昭和三十年代は鉄工所も、オートマチック化で整備などはされていません。熱い鉄を労働者が打ち下ろす、きつい肉体労働の厳しい作業です。一歩間違えたら、大ケガしてしまう危険な現場でもありました。
この過酷な肉体労働の日々のかたわらお二人は劇画誌に投稿し続けてデビューを果たし、その後虫プロの門を叩きアニメーターとなられたのです。
偶然にも同じ『ジャングル大帝』班でキャリアをスタートされた後は、職場は離れましたが『あしたのジョー』で杉野昭夫さんと3人で作画監督を務められました。以降もプライベートではずっと交流を続けておられました。
以降お二人がお会いになる時は、なぜか私も呼んでいただきご一緒させていただくことが増えました。時には上梨一也さんも交えて、それからはいろんな場所でお会いしました。
若い時代からの付き合いである荒木さんと金山さんそして上梨さんは、それほど言葉を交わさなくても、お互いが分かり合っていらっしゃるようでした。
アニメーションの第一線で活躍し続けてこられたお三方は、まるで戦友のようにも感じました。
(つづく)

手塚治虫アニメ選集『ジャングル大帝』(少年画報社)
荒木さん、金山さん、上梨さんが出会われ、
荒木さんのアニメーションの初仕事にもなった作品です。
ご友人である金山明博さんの個展や関係者のパーティーなどでお目にかかると、手招きされてこれからとりかかろうと思っているマンガ作品の構想をお話しいただいたり、執筆中の原稿やイラストのコピーなどを「ここまで描いているんですよ」と、微笑みながら見せてくださいました。
荒木伸吾さんと金山さんは出身地こそ違いましたが、同い年で子どもの頃手塚治虫さんの作品に出会い衝撃を受けてマンガ家を志されました。
その後の歩みも奇しくも共通していらっしゃいます。お二人とも戦争でお父上を亡くしていることもあり、いったんは就職の道を選ばれそれぞれ鉄工所に勤務しました。
まだ昭和三十年代は鉄工所も、オートマチック化で整備などはされていません。熱い鉄を労働者が打ち下ろす、きつい肉体労働の厳しい作業です。一歩間違えたら、大ケガしてしまう危険な現場でもありました。
この過酷な肉体労働の日々のかたわらお二人は劇画誌に投稿し続けてデビューを果たし、その後虫プロの門を叩きアニメーターとなられたのです。
偶然にも同じ『ジャングル大帝』班でキャリアをスタートされた後は、職場は離れましたが『あしたのジョー』で杉野昭夫さんと3人で作画監督を務められました。以降もプライベートではずっと交流を続けておられました。
以降お二人がお会いになる時は、なぜか私も呼んでいただきご一緒させていただくことが増えました。時には上梨一也さんも交えて、それからはいろんな場所でお会いしました。
若い時代からの付き合いである荒木さんと金山さんそして上梨さんは、それほど言葉を交わさなくても、お互いが分かり合っていらっしゃるようでした。
アニメーションの第一線で活躍し続けてこられたお三方は、まるで戦友のようにも感じました。
(つづく)

手塚治虫アニメ選集『ジャングル大帝』(少年画報社)
荒木さん、金山さん、上梨さんが出会われ、
荒木さんのアニメーションの初仕事にもなった作品です。
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