あるマンガ家の航跡 天馬正人伝 その23
- 2022/05/29
- 06:30
第2章
■週刊誌時代到来 (2)
皇太子のご成婚記念の中継を見るため、日本で家庭用のテレビジョン受像機の普及が一気に広まったのは、昭和34年(1959年)のことです。
昭和38年(1963年)には、日米を結んだテレビ宇宙中継が行われ、その時ケネディ大統領の暗殺事件も中継され、テレビの即時性というものを視聴者は改めて体験しました。
今、世の中で何が起こっているのか、映画や新聞などでは味わえないリアル感を人々は体感したのです。
テレビの影響もあってかライフサイクルもより週単位が強まり、雑誌の主流も月刊誌から週刊誌へと主役が交代していきます。
天馬さんも長年執筆してきた月刊誌『少年クラブ』(講談社)が昭和37年(1962年)12月号で休刊し、今後のライフワーク的作品と考えていた『かみずくず親子』を終えざるをえなくなりました。
しかし、子どもたちのために良い作品を描きたい。そんな思いを失うことはありませんでした。マンガ以外にも創作の道を思案し、本格的な児童文学へ進むことも考えていたのです。
そんな時、児童文学者である赤木由子さんと知り合う機会もあり、その伝手から児童文学者協会に入会しました。
そこで児童文学者の有志たちによる勉強会にも、積極的に参加していったのです。
この交流の中で、これまで数々のマンガを執筆していた天馬正人さんの経歴を知った人から、子ども向けテレビ番組への参加を打診されます。
そして当時、NHKや民放でも人気だった児童向け番組の脚本を執筆することとなります。
それは、日本テレビ系で月曜から土曜まで毎朝放送されていた人形劇『それいけトッピー』でした。(つづく)
NTV『それ行けトッピー』第20週台本
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