あるマンガ家の航跡 天馬正人伝 その28
- 2022/07/03
- 06:30
第2章
■ある誘い (2)
昭和34年(1959年)3月の『週刊少年マガジン』(講談社刊)、『週刊少年サンデー』(小学館刊)から遅れること4年。
他社と同様に自社の月刊少年誌『少年画報』を出版していた少年画報社は、押し寄せる週刊誌の波に抗うことは出来ず、マンガ週刊誌を出すべく動き始めます。
そして、昭和38年(1963年)に創刊されたのが『少年キング』でした。ただ先行する各誌に人気作家は押さえられており、ビッグネームのマンガ家への執筆依頼は月刊誌時代に付き合いがあってもスケジュール的にも難しくなっていました。
いろいろなマンガ家さんにも声を掛けたようです。ただ人気マンガ家たちは、既にそれぞれ他誌で連載を持っており、なかなか快諾してもらえなかったのです。
当然、同社の『少年画報』にて長年カーレースマンガ『パイロットA』を連載していた吉田竜夫さんにも、是非にと声を掛けていました。
編集部としても、この人気マンガ家になんとか創刊号から連載を、と依頼したのです。
なんとしても生き残りをかけて強力な連載作品が欲しい、という編集部たっての願いに吉田さんは応えることになります。
そうして『少年キング』の創刊号から連載が始まった『少年忍者部隊月光』こそ、天馬正人さんが原作と構成を担当した作品です。
この作品がスタートする1年前、昭和37年(1962年)にタツノコプロは設立されました。
サンコミックス『少年忍者部隊月光』(朝日ソノラマ刊)全2巻
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