あるマンガ家の航跡 天馬正人伝 その31
- 2022/07/24
- 06:30
第2章
■タツノコプロへの参加 (2)
昭和37年(1962年)、フジテレビ系で11月から放送されたテレビドラマ『チャンピオン太』。
場所は当時、渋谷にあった力道山経営のプロレス常設会場であるリキ・スポーツパレスでした。
これは、掲載誌『少年マガジン』のパブリシティ記事の取材も兼ねていたのでしょうか。
もちろん当日、りキ・スポーツパレス内の撮影現場となったリング上には、力道山もいました。
この場に以前、大田加英二名義で力道山の伝記マンガを描いたことがある天馬さんも立ち会っていたことには、不思議な縁を感じます。
天馬さんも吉田竜夫さんたちの写真と共に、マンガ執筆の参考用のためトレーニングジム内の様子もいろいろと撮影されたようです。
タツノコプロは、昭和37年(1962年)10月に正式に発足し、テレビドラマ『チャンピオン太』は翌11月の7日に始まっています。
タツノコプロは当初、マンガ家のプロダクションとしてスタートしました。ですが、吉田竜夫さんはマンガだけにとどまらず、絵を描く集団という特性を生かしより大きな事業展開へとの構想を持っていました。
連載中だった『忍者部隊月光』と『チャンピオン太』の2作はテレビ化され、その相乗効果もあり大きなヒット作となりました。
このこともあり、吉田さんはテレビというメディアの可能性についても、考えておられたようです。
そして、タツノコプロの発足から3ヶ月後の昭和38年1月、手塚治虫さん率いる虫プロダクションによる国産アニメ『鉄腕アトム』が始まりました。
これまで不可能と言われていた毎週新作のテレビアニメ放送を、実現させたのです。
同業のマンガ家である手塚さんによる自作のテレビアニメ化、そしてその成功には吉田さんは大きな刺激を受けたことでしょう。
そんな時期に、『宇宙エース』のテレビアニメ化の話が浮上してきたのです。(つづく)
今はなき、渋谷にあったリキスポーツパレスの入り口付近
『チャンピオン太』撮影現場での
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