あるマンガ家の航跡 天馬正人伝 その32
- 2022/07/31
- 06:30
第2章
■タツノコプロへの参加 (3)
1965年(昭和40年)5月8日(土曜日)18時15分、タツノコプロのテレビアニメ第一作となる『宇宙エース』の放映が始まりました。
この『宇宙エース』、当初は東映動画との共同制作でタツノコ側ではキャラクターとストーリーを担当し、実際の制作は東映動画が担当するはずでした。
そのためタツノコからは、笹川ひろしさんと原征太郎さんともう一人の三人がアニメ制作の研修に東映動画に通うことになります。
吉田竜夫さんや九里一平さんは、キャラクターなどを東映動画と詰めることになりますが、アニメーションとマンガの違いを知らされることとなります。
例えばエースの連載マンガでは当初描かれていた襟や胸のボタンなども、アニメのキャラクターにする際、アニメーターが描きやすくするため省略されました。
原作者側として不満もありましたが、それでも自分たちの描くマンガがテレビアニメになって動くならということで、企画を進めていました。
ですが、いよいよ土壇場になってこの作品の著作権は東映動画側のものになるという話が浮上します。そこで、吉田竜夫さんたちタツノプロ側は企画を引き上げるという苦渋の決断を選ぶことになりました。
なによりマンガ家集団として作品の権利が一番と考えていたのですから、そこだけは譲ることはできなかったのです。
そして、アニメ制作などやったことのないシロウト集団が、いきなりテレビアニメ制作に乗り出すことになります。
タツノコプロから東映動画に三ヶ月研修に行っていた笹川さんと原さんが中心になり、新たに自社で制作するためスタッフを急募したのです。 (つづく)
集英社『少年ブック』昭和39年8月号付録『宇宙エース』
連載初期のデザインにはエリとボタンがありました。
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