あるマンガ家の航跡 天馬正人伝 その33
- 2022/08/07
- 06:30
第2章
■タツノコプロへの参加 (4)
テレビアニメを製作するためには、多額の資金が必要です。ですが漫画家のプロダクションだったタツノコプロには、まだそんな蓄えはありませんでした。
当時『少年ブック』編集長だった長野規さんも、まったくのシロウトにもかかわらず自作マンガのアニメ化に情熱を燃やす吉田さんの志を意気に感じます。
後に『週刊少年ジャンプ』を創刊することになる長野さんは、テレビの重要性も認識していました。そこで社の上層部を説得し、当時でも異例だった原稿料まとめての前払いを実現してくれたのです。
そして国分寺鷹の台の雑木林の中にアニメ『宇宙エース』制作のため、スタジオを建てることが出来ました。
余談ですが、後に『少年サンデー』に連載され人気だった『紅三四郎』が翌年『週刊少年ジャンプ』にも短期とはいえ登場したのは、この時の恩義に報いる意味もあったのでしょう。
次は、原画や動画を描いてキャラクターを動かしてくれるアニメーターを、集めなければなりません。
当時はまだ経験者もあまりおらず、応募してきた人を採用し彼らを育てながら制作しなければなりませんでした。
制作費を出してくれるスポンサー探しも、吉田竜夫さんが自ら動いていました。以前『週刊少年マガジン』に連載した『ハリス無段』(原作/梶原一騎)でタイアップしてくれたハリス食品にスポンサードを依頼するため、大阪の本社にも出向きました。
なんとしてもこのアニメを成功させなければならない、との思いでした。
『宇宙エース』キャラクター表情設計図
- 関連記事
-
- あるマンガ家の航跡 天馬正人伝 その35
- あるマンガ家の航跡 天馬正人伝 その34
- あるマンガ家の航跡 天馬正人伝 その33
- あるマンガ家の航跡 天馬正人伝 その32
- あるマンガ家の航跡 天馬正人伝 その31