マンガ家の河口仁さんが亡くなられました
- 2022/11/20
- 06:30
『週刊少年マガジン』連載の『愛しのボッチャー』や、『週刊ゴング』の『ワンポイント・パフォーマンス』などで知られるマンガ家の河口仁さんが、11月12日に亡くなられました。73歳でした。
河口さんは、1950年山口県長門市生まれです。小さい頃からマンガとプロレスがお好きで、高校卒業後上京。専門学校で絵を学ばれ、赤塚不二夫さんのフジオプロに入社してアシスタントを務められます。
フジオプロでは赤塚さんのもとに、あだち勉さん、北見けんいちさん、斉藤あきらさん、長谷邦夫さんなどが揃っており、そこで修行されました。
またマンガと共に好きだったのがプロレスで、あまりの好きすぎが講じてアマリロまで渡航、地元のファンに混じってファンク兄弟の試合を観戦してこられました。
ニューヨークではミュージカルに感銘を受けてその楽屋を訪ね、身振り手振りで伝説のソウルシンガー、ドリス・トロイに感動を伝えるととても喜ばれ、その後交友が続きました。
フジオプロから独立して『愛しのボッチャー』の週刊連載でお忙しい中も、常に後楽園ホールなどに観戦に出向いていました。その後の『ワンポイント・パフォーマンス』では、毎週河口さんならではの視点で注目したレスラーや試合を取り上げています。
私も90年代からは、SWSやWARの試合会場では、いつもお会いしていました。
その後、プロレスだけでなく貸本マンガやドリス・トロイのミュージカル『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング』などでいろいろとお話させていただくようになります。
少年時代好きだった貸本マンガ家は山本まさはるさんで、ファンレターの返事にいただいたイラストをずっと大事にしていらっしゃいました。
ある時、故郷の親友が病に倒れ余命いくばくもない状態になってしまいました。そんな時彼のヒーローでもあった天龍さんにメッセージをいただけないかとお願いし、快く引き受けていただきました。そしてオフィスに一緒にうかがったこともあります。
同世代の天龍さんの活躍を見て、自分もまだまだといつも口癖のようにおっしゃっていました。
それからも、観戦した試合の感想の電話やハガキ、描いたイラストのコピーなどもよくいただきました。
おとなしく優しい方なのですが、どこか冷めていて頑固で気難しいところもありました。私には、よく口癖のように「星さんとは似た者同士だからね」とは言われてました。
河口仁さんのご冥福をお祈りいたします。
河口仁さんといえば、やはり『ワン・ポイ』です。
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