あるマンガ家の航跡 天馬正人伝 その37
- 2022/12/11
- 06:30
第3章
■タツノコプロ出版部長として (1)
天馬正人さんはタツノコプロ発足後、当初は吉田竜夫さんの『少年忍者部隊月光』や九里一平さんの『マレー白虎隊』などの構成を担当されます。やがて同社がアニメ制作に軸足を移していくと、絵本や学年誌など各雑誌のアニメ作品の連載に力を注がれました。
それぞれの作品は執筆までは手掛けていませんが、ストーリーやコマ構成などを担当されています。
なかでも昭和45年(1970年)に放映された『昆虫物語 みなしごハッチ』の絵本は、作品の人気と共にヒットとなり6冊も刊行されました。後に、小学館児童漫画賞を受賞します。
『みなしごハッチ』は天馬さんもお気に入りで、ご自身でもオリジナルの絵を何点か描いていました。昔から児童文学も志しておられたので、その世界がマッチしていたのでしょう。
また昭和44年(1969年)放映の『ハクション大魔王』も、アニメ同様に雑誌連載でも人気となりました。コミカルで明るい世界が子供たちに受けたのです。
この作品では、身体を壊して仕事をセーブしていた師である太田じろうさんに執筆を依頼し、久しぶりに師弟の合作も果たしています。
学年誌の連載などは当時コミックス化などはされなかったのですが、新書判では描き下ろしの単行本がオハヨー出版(後のサン企画)から多数出ました。
『昆虫物語 みなしごハッチ』や『ハクション大魔王』、『科学忍者隊ガッチャマン』などの、サンピーコミックスやエースファイブ・コミックスを今も覚えている人も多いことでしょう。当時は、アニメーターは忙しく出版部で作画していたため、テレビと絵が多少違うこともありました。
児童文学にも造詣が深かった天馬さんには、時には学年誌から子ども向け読み物の連載もお声が掛かりました。こちらはアニメ作品とは関わりのない作品です。
古くから付き合いのあった編集者に、依頼されていたのかもしれません。
こうして、アニメ制作がメインとなっていったタツノコプロでも出版部門の要として、各社の仕事を続けていました。(つづく)
エースファイブ・コミックス『ハクション大魔王』(サン企画)
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