あるマンガ家の航跡 天馬正人伝 その42
- 2023/02/05
- 06:30
第3章
■タツノコプロ出版部長として (5)
タツノコプロを情熱的に率いてきた吉田竜夫さんは、昭和52年(1977年)に9月に亡くなりました。45歳の若さでした。
クリエイティブと経営、その両輪を先頭に立ち牽引してきた社長を失った同社には、大きな動揺が走ります。
天馬さんも自分を理解し強く誘ってくれた吉田さんを失い、大きなショックを受けました。ですが、せっかく自分を頼りにしてくれた思いに応えるためにも、残った吉田健二さん、九里一平さんご兄弟を支えていこうと思いを新たにしました。
その後、社員の大量離脱などの荒波を何度も受けながらも、出版部長として『タイムボカン・シリーズ オタスケマン』や、『科学忍者隊ガッチャマンⅡ』など、新作アニメの絵本や時には商品化のイラストなどを次々と手掛けました。
天馬さんがこの頃手掛けたテレビ絵本で覚えておられたのは、ひかりのくにから出版された『タイムパトロール隊オタスケマン』です。
ひかりのくにのテレビ絵本では、それまで『タイムボカン』から『ヤッターマン』、『ゼンダマン』と続けて刊行されていました。
各作品とも当時子どもたちの人気も高く、シリーズ初めと中頃にだいたい2冊出ています。
なかでも『オタスケマン』は、4巻まで発売された人気シリーズでした。2巻までが売れ行き好調だったので3巻目の発刊を、版元から依頼されたのです。
そこで2巻目までは通常の内容だったのですが、3巻は『ヤッターマン』と『ゼンダマン』も登場するオールスター絵本となりました。この構成を考えたのが、天馬さんでした。
そしてこの3巻の売れ行きが好調だったことから、異例の4冊目の出版も決まります。一年間のテレビアニメ絵本で4冊も新作が刊行されることは滅多にありません。
天馬さんは3巻を越えるものにするため、今度は更に同時期に放映中だった『とんでも戦士ムテキング』も出るオールスター絵本を考えます。
内容は、各ページの遊園地やお祭、デパート、動物園、商店街など、人ごみのなかに紛れたオジャママンやクロダコブラザーズを探すというものでした。
7年後に、『ウォーリーをさがせ!』(マーティン・ハンドフォード著)でおなじみとなった人探し絵本ですが、1980年にすでに天馬さんは『オタスケマン』で描いていたことになります。(つづく)
ひかりのくにテレビ絵本『タイムパトロール隊オタスケマン』③と④です。
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