あるマンガ家の航跡 天馬正人伝 その48
- 2023/03/19
- 06:30
第4章
■竜の子アニメ通信スクール (4)
天馬正人さんのもとには「竜の子アニメ通信スクール」の通販を知った古い作品のファンから、旧作のセル画や資料が欲しいというリクエストが来ることも増えました。
資料室に残っていない作品もあり、私が所持していた旧作のセル画をお持ちしたこともあります。こんな作品をリクエストされたけど、今のタツノコプロには無い、とお聞きしたことがきっかけです。
そこで、同じファンに喜んでもらえるならお持ちします、とお話したのです。最初は大事にされてるんでしょうから、と固辞されましたが私もその方がうれしいからと申し上げると、「そうですか、では」と納めていただきました。
時には、熱心すぎるファンからタツノコプロ公認のファンクラブを新たに起こしたいと強く申し込まれたこともありました。こんな話が来ましたがどうしたらいいでしょうか、と、その企画趣意書に対し意見を求められたこともあります。
タツノコプロとして、新作の製作もしていない頃でした。そんな時に公認ファンクラブを作ったとして、ファンに一体何を還元できるのだろうか。でも熱心なファンの気持ちを無碍には出来ないしと、とても悩んでいらしたことを覚えています。
状況を冷静に判断される方でしたので、この時期に立ち上げても難しいということも分かっていらっしゃったのでしょう。
出来上がった会報の第1号は、『科学忍者隊ガッチャマン』が表紙でした。スタッフの方が描いたものでしたが落書きのような絵で、そこには吉田竜夫さんが心血を注いだあのキャラクターはいませんでした。
私に手渡してくれながら「ファンはこれで本当に喜んでくれるんでしょうか」と、寂しそうなご様子だったことを覚えています。天馬さんご自身は、ファンクラブを作りたいというファンの熱意を受け本社にも交渉しておられたのですが、その行く末について不安を感じておられたのかもしれません。
この頃は、よくお声掛けいただきスタジオにうかがって、お話させていただきました。本の編集作業で徹夜が続くと、その仕事明けの日は休みを取り鷹の台に向かうのです。
西武線の鷹の台駅から徒歩で15分ほど行くとタツノコスタジオがあります。
到着すると、昔からのプロデューサーの柴田勝さんや当時タツノコに復帰しておられた笹川ひろしさん。そして作画監督の井口忠一さん、美術の多田喜久子さんなど、スタジオに居らっしゃったスタッフの方々にもご紹介いただけました。
天馬さんの休憩時間には、一緒にお茶をいただきながら昔の頃のことをいろいろと伺うことも楽しみのひとつでした。(つづく)
天馬さんが描かれた『けろっこデメタン』
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