あるマンガ家の航跡 天馬正人伝 その49
- 2023/03/26
- 06:30
第4章
■晩年の天馬正人さん
時には、天馬正人さんの高円寺のお住まいにもお邪魔しました。
当時、私は荻窪に住んでいたので自転車でうかがい、2階の書斎にもご案内いただいたこともあります。
優しい奥様もマンガ家時代に多忙を極めた時には、原稿のスミ入れを手伝われたとのことで、当時のことをお二人から伺うこともありました。
また奥様も通信スクールの繁忙期には、お手伝いにスタジオにも通っておられたこともあります。
その後、私も引越してしまいご近所では無くなったのですが、天馬さんからはいつもお手紙やお電話をいただきやりとりは続いていました。
そして平成6年(1994年)突然、お別れの時を迎えます。
私もその前年くらいから体調を崩したり仕事も多忙となり、天馬さんとは以前のようにはお会いできる機会もなくなっていました。
お手紙では何度かやりとりを続けていて、そのうちまたご挨拶に伺わなくてはと思っていた矢先、その報せが飛び込んだのです。
天馬さんとは、悲しいお別れを迎えることになりました。ただ、お付き合いいただいた濃密な時間は今でも忘れられません。
機会があるごとに、大田加英二時代から天馬正人、たつみ勝丸時代。『かみくず親子』という作品に込めた熱い思い。竜の子プロ参加後、そしてアニメーション事業初期の苦闘時代や吉田竜夫さんの人物像まで、それまでご自身が体験してこられたマンガとアニメ史を直接お聞かせいただくことができました。
天馬さんは、「過去の話などつまらないでしょうから」と、自らは決して進んでお話してはくれません。自慢になるような話は本当にお嫌いな方でした。ですがこちらから疑問を重ねお尋ねしていくと、根負けされたのかいろいろと答えてくださいました。
私にとっても、生きたマンガ史とタツノコプロの歴史までを伺える贅沢な時間でした。(つづく)
天馬さん画『宇宙エース』
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