アニメブーム時の公式ファンクラブ事情②
- 2015/05/17
- 07:49
■アニメブーム以前 その1
1977年(昭和52年)夏、『宇宙戦艦ヤマト』の劇場公開前後から、アニメは爆発的に盛り上がり始めました。そんな頃に、制作会社各社も次々に独自の公式ファンクラブを立ち上げていきました。
ただ、このアニメブーム以前にも、実は日本には二つのアニメの大きな公式ファンクラブが存在していました。そのことを抜きに、アニメの公式ファンクラブの流れを語ることは出来ません。
アニメブームよりもっと古い時代にさかのぼりますが、歴史を辿ってみることにします。
まず、「ディズニー・クラブ」です。これは1951年(昭和26年)、当時ディズニー作品の配給元であった映画配給会社、日本RKOラヂオ映画の運営によるディズニー作品の公式ファンクラブでした。
この年『ピノキオ』の公開を記念して誕生した、まさに日本初の公式アニメ・ファンクラブです。もちろんこの当時には、テレビはまだ普及していません。アニメーション映画は、フィルムを上映する映画館に足を運ばなくては観ることは出来ませんでした。
この会の会報である『ディズニー・ジャーナル』は、1951年11月に創刊されました。その創刊号には、名誉会長であるウォルト・ディズニー氏の日本のファンに向けたメッセージも掲載されています。
『ディズニー・ジャーナル』は、藤子不二雄Aさんの自伝的作品『まんが道』の中にも登場します。トキワ荘を下関から訪れた鈴木伸一さんが、初対面の安孫子さんと藤本さんにディズニーの直筆サイン入りポートレートの代わりに見せてくれたのが、この『ディズニー・ジャーナル』でした。(つづく)

藤子不二雄『愛蔵版 まんが道』第四巻(中央公論社)の登場ページと、『ディズニー・ジャーナル』18号
『愛蔵版 まんが道』は、まだお二人がペンネームをわけられる前の単行本です。
『ディズニー・ジャーナル』18号には、『白雪姫』の小特集記事が掲載されています。
1977年(昭和52年)夏、『宇宙戦艦ヤマト』の劇場公開前後から、アニメは爆発的に盛り上がり始めました。そんな頃に、制作会社各社も次々に独自の公式ファンクラブを立ち上げていきました。
ただ、このアニメブーム以前にも、実は日本には二つのアニメの大きな公式ファンクラブが存在していました。そのことを抜きに、アニメの公式ファンクラブの流れを語ることは出来ません。
アニメブームよりもっと古い時代にさかのぼりますが、歴史を辿ってみることにします。
まず、「ディズニー・クラブ」です。これは1951年(昭和26年)、当時ディズニー作品の配給元であった映画配給会社、日本RKOラヂオ映画の運営によるディズニー作品の公式ファンクラブでした。
この年『ピノキオ』の公開を記念して誕生した、まさに日本初の公式アニメ・ファンクラブです。もちろんこの当時には、テレビはまだ普及していません。アニメーション映画は、フィルムを上映する映画館に足を運ばなくては観ることは出来ませんでした。
この会の会報である『ディズニー・ジャーナル』は、1951年11月に創刊されました。その創刊号には、名誉会長であるウォルト・ディズニー氏の日本のファンに向けたメッセージも掲載されています。
『ディズニー・ジャーナル』は、藤子不二雄Aさんの自伝的作品『まんが道』の中にも登場します。トキワ荘を下関から訪れた鈴木伸一さんが、初対面の安孫子さんと藤本さんにディズニーの直筆サイン入りポートレートの代わりに見せてくれたのが、この『ディズニー・ジャーナル』でした。(つづく)

藤子不二雄『愛蔵版 まんが道』第四巻(中央公論社)の登場ページと、『ディズニー・ジャーナル』18号
『愛蔵版 まんが道』は、まだお二人がペンネームをわけられる前の単行本です。
『ディズニー・ジャーナル』18号には、『白雪姫』の小特集記事が掲載されています。
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- テーマ:懐かしいアニメ作品
- ジャンル:アニメ・コミック
- カテゴリ:公式ファンクラブ事情
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