アニメブーム時の公式ファンクラブ事情④
- 2015/05/24
- 06:52
■アニメブーム以前 その3
大のディズニー作品ファンであったという手塚治虫さんは、『ティズニー・ジャーナル』も購読していたのでしょうか。
ご自身でアニメ製作の夢を叶えるために、虫プロダクションの前身である手塚動画プロを興したのは昭和36年(1961年)のことです。その後、『ある街角の物語』で華々しく世に出て、次に挑んだのが無謀とも言われた国産初の30分のテレビシリーズものでした。
手塚さんと虫プロのスタッフの努力で『鉄腕アトム』は1963年(昭和38年)1月からスタートし、一躍大人気となります。テレビでは外国アニメ全盛だった時代に、子どもたちは誰でも知る人気雑誌マンガがアニメ化され、しかも毎週新作が放映されたのです。これは当時の子どもにとって、夢のような出来事だったでしょう。
その後『鉄腕アトム』の大ブームもあって、公式ファンクラブとして「虫プロダクション友の会」も組織されることになりました。そして会報として、後期の『ディズニー・ジャーナル』と同サイズの『鉄腕アトムクラブ』を発行しました。
会報『鉄腕アトムクラブ』が創刊されたのは、『鉄腕アトム』放映開始から1年8ヶ月経った1964年(昭和39年)8月でした。
これはA5判中綴じ72ページで、『鉄腕アトム』などの新作マンガや絵物語、ルポなど記事も雑誌のように盛りだくさんの内容でした。しかも基本的には毎月発行と、まるで小さな月刊少年誌のようでもありました。
ただ創刊当時は、一般書店には発売されていません。あくまで「虫プロダクション友の会」に入会しないと、入手できないものでした。(つづく)

『鉄腕アトムクラブ』 毎号描き下ろしの表紙が素敵でした
大のディズニー作品ファンであったという手塚治虫さんは、『ティズニー・ジャーナル』も購読していたのでしょうか。
ご自身でアニメ製作の夢を叶えるために、虫プロダクションの前身である手塚動画プロを興したのは昭和36年(1961年)のことです。その後、『ある街角の物語』で華々しく世に出て、次に挑んだのが無謀とも言われた国産初の30分のテレビシリーズものでした。
手塚さんと虫プロのスタッフの努力で『鉄腕アトム』は1963年(昭和38年)1月からスタートし、一躍大人気となります。テレビでは外国アニメ全盛だった時代に、子どもたちは誰でも知る人気雑誌マンガがアニメ化され、しかも毎週新作が放映されたのです。これは当時の子どもにとって、夢のような出来事だったでしょう。
その後『鉄腕アトム』の大ブームもあって、公式ファンクラブとして「虫プロダクション友の会」も組織されることになりました。そして会報として、後期の『ディズニー・ジャーナル』と同サイズの『鉄腕アトムクラブ』を発行しました。
会報『鉄腕アトムクラブ』が創刊されたのは、『鉄腕アトム』放映開始から1年8ヶ月経った1964年(昭和39年)8月でした。
これはA5判中綴じ72ページで、『鉄腕アトム』などの新作マンガや絵物語、ルポなど記事も雑誌のように盛りだくさんの内容でした。しかも基本的には毎月発行と、まるで小さな月刊少年誌のようでもありました。
ただ創刊当時は、一般書店には発売されていません。あくまで「虫プロダクション友の会」に入会しないと、入手できないものでした。(つづく)

『鉄腕アトムクラブ』 毎号描き下ろしの表紙が素敵でした
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- テーマ:漫画
- ジャンル:アニメ・コミック
- カテゴリ:公式ファンクラブ事情
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