国際映画社が駆け抜けた時代(その2)
- 2014/05/11
- 08:40
1979年(昭和54年)4月に葦プロと共同でテレビシリーズ『くじらのホセフィーヌ』を製作したのが、そもそも同社のテレビアニメ参入のスタートだったようです。
元々スペインのホセ・マリア・サンチェス・シルバによる有名な児童文学だった同作のアニメ化を考えたのが、プロデューサーだった壷田重夫さんでした。ここで、それまで『ブロッカー軍団Ⅳマシーンブラスター』などの葦プロ作品を企画・文芸面で支えてこられた山本優さんとの出会いがあったのでしょうか。
それ以降、『ふたごのモンチッチ』や『宇宙戦士バルディオス』などのテレビシリーズを葦プロと共同で製作していきます。この頃は国際映画社は制作母体を持っていなかったので、実際の制作部門は葦プロが担っていました。
そして1981年(昭和56年)4月に放映開始した『めちゃっこドタコン』と『若草の四姉妹』からは、実質的に東映動画に制作母体を移行し、形の上では単独製作としてテレビアニメに本格的に進出します。
これは当時の国際映画社の社長・壷田重三さんと、東映動画の社長だった今田智憲さんが古くからの親友だったご縁で協力してもらえることになったようだと、後に山本優さんに伺ったことがあります。
実は1980年に放映された『宇宙戦士バルディオス』でも、東映動画は実質的に各話グロス担当としてシリーズ中盤までは制作協力に入っていました。本放映時代、エンディングのスタッフテロップを見て、なぜ東映動画系のスタッフが葦プロ作品に協力するのか疑問だったのですが、後に『ドタコン』などを見て、葦プロではなく国際映画社とのパイプがあったと合点がいきました。
『バルディオス』は残念ながら視聴率がふるわず途中で打ち切られることになりましたが、後にラストまで描く劇場版が公開されました。この新作映画の配給も東映系でした。こちらも、そのようなつながりがあったのかもしれません。
TV版『バルディオス』には、第一動画の『黄金バット』のプロデュースや『妖怪人間ベム』の美術を担当された草野和郎さんが、第一放映のプロデューサーとして名を連ねていらっしゃいます。韓国発注の先駆け的作品を手掛けた方が、どういった経緯で関わられたのか、それが後に韓国発注をメインとしていくことになった国際映画社の制作形態にどのような影響を与えたのか、非常に興味深いところです。
『めちゃっこドタコン』の企画は、白土武さんのスケッチブックに描かれたドタコンの一枚の絵から始まりました。白土さんの家を訪れた壷田さんから「何かないか」と聞かれたので、白土さんは以前描いたスケッチブックのイラストを見せました。これを見た壷田重夫さんが持ち帰って山本優さんと相談し、企画をまとめ上げて放映を決定してきたのだそうです。
白土さんご自身は、元々元気なわんぱく少年的なイメージで描いていたので、まさか自分の描いていたキャラクターがロボットという設定になるとは思いもしなかった、と以前お聞きしました。
この頃から、壷田さんの営業力、山本さんの企画力・構成力がフル回転し始めたのでしょう。(続く)

『宇宙戦士バルディオス』と『ふたごのモンチッチ』です。
元々スペインのホセ・マリア・サンチェス・シルバによる有名な児童文学だった同作のアニメ化を考えたのが、プロデューサーだった壷田重夫さんでした。ここで、それまで『ブロッカー軍団Ⅳマシーンブラスター』などの葦プロ作品を企画・文芸面で支えてこられた山本優さんとの出会いがあったのでしょうか。
それ以降、『ふたごのモンチッチ』や『宇宙戦士バルディオス』などのテレビシリーズを葦プロと共同で製作していきます。この頃は国際映画社は制作母体を持っていなかったので、実際の制作部門は葦プロが担っていました。
そして1981年(昭和56年)4月に放映開始した『めちゃっこドタコン』と『若草の四姉妹』からは、実質的に東映動画に制作母体を移行し、形の上では単独製作としてテレビアニメに本格的に進出します。
これは当時の国際映画社の社長・壷田重三さんと、東映動画の社長だった今田智憲さんが古くからの親友だったご縁で協力してもらえることになったようだと、後に山本優さんに伺ったことがあります。
実は1980年に放映された『宇宙戦士バルディオス』でも、東映動画は実質的に各話グロス担当としてシリーズ中盤までは制作協力に入っていました。本放映時代、エンディングのスタッフテロップを見て、なぜ東映動画系のスタッフが葦プロ作品に協力するのか疑問だったのですが、後に『ドタコン』などを見て、葦プロではなく国際映画社とのパイプがあったと合点がいきました。
『バルディオス』は残念ながら視聴率がふるわず途中で打ち切られることになりましたが、後にラストまで描く劇場版が公開されました。この新作映画の配給も東映系でした。こちらも、そのようなつながりがあったのかもしれません。
TV版『バルディオス』には、第一動画の『黄金バット』のプロデュースや『妖怪人間ベム』の美術を担当された草野和郎さんが、第一放映のプロデューサーとして名を連ねていらっしゃいます。韓国発注の先駆け的作品を手掛けた方が、どういった経緯で関わられたのか、それが後に韓国発注をメインとしていくことになった国際映画社の制作形態にどのような影響を与えたのか、非常に興味深いところです。
『めちゃっこドタコン』の企画は、白土武さんのスケッチブックに描かれたドタコンの一枚の絵から始まりました。白土さんの家を訪れた壷田さんから「何かないか」と聞かれたので、白土さんは以前描いたスケッチブックのイラストを見せました。これを見た壷田重夫さんが持ち帰って山本優さんと相談し、企画をまとめ上げて放映を決定してきたのだそうです。
白土さんご自身は、元々元気なわんぱく少年的なイメージで描いていたので、まさか自分の描いていたキャラクターがロボットという設定になるとは思いもしなかった、と以前お聞きしました。
この頃から、壷田さんの営業力、山本さんの企画力・構成力がフル回転し始めたのでしょう。(続く)

『宇宙戦士バルディオス』と『ふたごのモンチッチ』です。
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