アニメブーム時の公式ファンクラブ事情⑥
- 2015/05/31
- 07:47
■アニメブーム以前 その5
『鉄腕アトムクラブ』発行人の桑田裕さんは、元は『鉄腕アトム』を連載していた光文社の月刊誌『少年』の手塚番編集者だった方です。出版畑のご出身で手塚さんに請われて参加した桑田さんでしたから、少年誌の編集についてはノウハウをお持ちだったのでしょう。
しかし書店にも配本される月刊誌となり、順風満帆のように見えた『鉄腕アトムクラブ』でしたが、1966年(昭和41年)10月発売の11月号で突然休刊してしまいます。休刊の理由として、手塚治虫さんの長編作品を読みたいという声が多かったため、ともありました。アニメのファンクラブとはいえ、やはり当時の会員は手塚ファンがその大半を占めていたということでしょうか。
最終号となった11月号には、休刊のあいさつと12月に装いも新たにB5判の「まんがエリートのためのマンガ専門誌」として再スタートする、と告知されたのです。
それとともに、2年3ヶ月活動してきた「虫プロダクション友の会」も解散となりました。
『鉄腕アトムクラブ』に予告された新雑誌は『COM』として、1966年12月に新創刊されました。
多くのマンガ家たちの登竜門となった『COM』ですが、そこに手塚さんが連載した作品が『火の鳥』でした。その後、『COM』の休刊、虫プロの倒産など苦闘の時代を経て、改めて手塚さんが『火の鳥』の連載を始めたのが、朝日ソノラマの『月刊マンガ少年』です。
その『マンガ少年』から臨時増刊として、『TVアニメの世界』というアニメブーム初期のバイブルとなった本が生まれたのですから、不思議な縁を感じてしまいます。(つづく)

『鉄腕アトムクラブ』最終号となった1966年11月号(通巻28号)
「虫プロダクション友の会」の購読会員には、別刷りで「虫プロダクションの会員のみなさまへ」という
休刊のあいさつ状も届きました。
『鉄腕アトムクラブ』発行人の桑田裕さんは、元は『鉄腕アトム』を連載していた光文社の月刊誌『少年』の手塚番編集者だった方です。出版畑のご出身で手塚さんに請われて参加した桑田さんでしたから、少年誌の編集についてはノウハウをお持ちだったのでしょう。
しかし書店にも配本される月刊誌となり、順風満帆のように見えた『鉄腕アトムクラブ』でしたが、1966年(昭和41年)10月発売の11月号で突然休刊してしまいます。休刊の理由として、手塚治虫さんの長編作品を読みたいという声が多かったため、ともありました。アニメのファンクラブとはいえ、やはり当時の会員は手塚ファンがその大半を占めていたということでしょうか。
最終号となった11月号には、休刊のあいさつと12月に装いも新たにB5判の「まんがエリートのためのマンガ専門誌」として再スタートする、と告知されたのです。
それとともに、2年3ヶ月活動してきた「虫プロダクション友の会」も解散となりました。
『鉄腕アトムクラブ』に予告された新雑誌は『COM』として、1966年12月に新創刊されました。
多くのマンガ家たちの登竜門となった『COM』ですが、そこに手塚さんが連載した作品が『火の鳥』でした。その後、『COM』の休刊、虫プロの倒産など苦闘の時代を経て、改めて手塚さんが『火の鳥』の連載を始めたのが、朝日ソノラマの『月刊マンガ少年』です。
その『マンガ少年』から臨時増刊として、『TVアニメの世界』というアニメブーム初期のバイブルとなった本が生まれたのですから、不思議な縁を感じてしまいます。(つづく)

『鉄腕アトムクラブ』最終号となった1966年11月号(通巻28号)
「虫プロダクション友の会」の購読会員には、別刷りで「虫プロダクションの会員のみなさまへ」という
休刊のあいさつ状も届きました。
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- テーマ:懐かしいアニメ作品
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