アニメブーム時の公式ファンクラブ事情⑪
- 2015/06/20
- 06:32
■「日本アニメクラブ」その1
1978年(昭和53年)8月には、日本アニメーションが公式ファンクラブ「日本アニメクラブ」を発足させました。
本部を銀座の日本アニメ企画のオフィス内に置き、月刊のB4版新聞形式の『マンスリー・スタジオニュース』を9月号から発刊しました。
それまでカルピス劇場の名作路線や、『ドカベン』や『釣りキチ三平』など、様々な作品を手掛け、業界内では存在感の大きな同社でしたが、ファンには作品ほどは知られてはいませんでした。
そんな『母をたずねて三千里』や『未来少年コナン』などを、送り出してきた会社の公式ファンクラブが出来たのです。この快挙には、喜んだアニメファンも多かったでしょう。そのうえ会員には、原画やセル画、シナリオや設定書など、制作資料のいずれか一点を毎月送ってもらえることも、大きな特典でした。
『月報スタジオニュース』号外1号には、森やすじさん、大塚康生さん、宮崎駿さん、黒田昌郎さんたち主力スタッフも発足のお祝いコメントを寄せており、会社としての力の入れようが分ります。
また会報である「マンスリー・スタジオニュース」のほかに、月刊誌「アニメランド(仮称)」の創刊も予告されていました。この雑誌は、その後すばる書房からアニメ雑誌『月刊絵本別冊 アニメーション』として、創刊されました。
10月に発売された『月刊絵本別冊 アニメーション』11月号(創刊号)は『未来少年コナン』大特集や、「日本アニメーション キャラクター設定書大公開」、そして、「アニメ最前線」として森やすじさんにキャラクターデザインについて取材しています。
また読者欄には、「スタジオニュース」に寄せられた投書を掲載し、最終ページには「日本アニメクラブ」の会員募集告知を載せていましたから、「日本アニメクラブ」と同誌の密接な関係がうかがわれます。(つづく)

8月発行の準備号となった「月報スタジオニュース号外1号」(左)
9月発行の「スタジオニュース1号」(右)は、 『赤毛のアン』のためのロケハンがトップのニュースでした。
月報はB4判のタブロイドサイズでした。
1978年(昭和53年)8月には、日本アニメーションが公式ファンクラブ「日本アニメクラブ」を発足させました。
本部を銀座の日本アニメ企画のオフィス内に置き、月刊のB4版新聞形式の『マンスリー・スタジオニュース』を9月号から発刊しました。
それまでカルピス劇場の名作路線や、『ドカベン』や『釣りキチ三平』など、様々な作品を手掛け、業界内では存在感の大きな同社でしたが、ファンには作品ほどは知られてはいませんでした。
そんな『母をたずねて三千里』や『未来少年コナン』などを、送り出してきた会社の公式ファンクラブが出来たのです。この快挙には、喜んだアニメファンも多かったでしょう。そのうえ会員には、原画やセル画、シナリオや設定書など、制作資料のいずれか一点を毎月送ってもらえることも、大きな特典でした。
『月報スタジオニュース』号外1号には、森やすじさん、大塚康生さん、宮崎駿さん、黒田昌郎さんたち主力スタッフも発足のお祝いコメントを寄せており、会社としての力の入れようが分ります。
また会報である「マンスリー・スタジオニュース」のほかに、月刊誌「アニメランド(仮称)」の創刊も予告されていました。この雑誌は、その後すばる書房からアニメ雑誌『月刊絵本別冊 アニメーション』として、創刊されました。
10月に発売された『月刊絵本別冊 アニメーション』11月号(創刊号)は『未来少年コナン』大特集や、「日本アニメーション キャラクター設定書大公開」、そして、「アニメ最前線」として森やすじさんにキャラクターデザインについて取材しています。
また読者欄には、「スタジオニュース」に寄せられた投書を掲載し、最終ページには「日本アニメクラブ」の会員募集告知を載せていましたから、「日本アニメクラブ」と同誌の密接な関係がうかがわれます。(つづく)

8月発行の準備号となった「月報スタジオニュース号外1号」(左)
9月発行の「スタジオニュース1号」(右)は、 『赤毛のアン』のためのロケハンがトップのニュースでした。
月報はB4判のタブロイドサイズでした。
- 関連記事
-
- アニメブーム時の公式ファンクラブ事情⑬
- アニメブーム時の公式ファンクラブ事情⑫
- アニメブーム時の公式ファンクラブ事情⑪
- アニメブーム時の公式ファンクラブ事情⑩
- アニメブーム時の公式ファンクラブ事情⑨
- テーマ:懐かしいアニメ作品
- ジャンル:アニメ・コミック
- カテゴリ:公式ファンクラブ事情
- CM:0
- TB:0