アニメブーム時の公式ファンクラブ事情⑫
- 2015/06/21
- 08:07
■「日本アニメクラブ」その2
「日本アニメクラブ」は、実際にアニメ制作に興味を持っているファンに門戸を開こうとしたところが、新鮮でした。これまでの日本アニメ作品を教材にして、アニメ制作のノウハウを公開するという理想をその活動内容の柱として謳っていたのです。
「作る側、受ける側のクリエイティブで心の通い合った交流をはかろう」と、「日本アニメクラブ」誕生を告知した号外1号では、呼びかけていました。
実際に聖蹟桜ヶ丘にあったスタジオでは、会員向けの上映会も行われていました。またスタジオ内のスペースで販売していた、セル画を通販で買える特典もありました。ただセルや絵コンテ、シナリオなどは販売していたのですが、原画や動画などは通販されていませんでした。
後に夏休みのときに上京して聖蹟桜ヶ丘の駅から長い田んぼのあぜ道を抜けてスタジオを訪れた時、動画を1カットずつ販売していることを知り、そこで販売されていた『ペリーヌ物語』や『リスのバナー』などの動画を、喜んで購入しました。
当時、カット袋の上段右上の隅に動画の枚数か書かれていて、その枚数で確か値段が決まっていたことを覚えています。自主アニメを作っていた人たちにとって、レイアウト、タイムシートと揃った動画は、とても良い教材になったことでしょう。
私も当時、既に放映は終わっていた『未来少年コナン』や『トム・ソーヤの冒険』の動画を希望したら、親切なショップの方が保存してあった動画を奥から出してきてくれたことも良い思い出です。
会報の「マンスリー・スタジオニュース」は、1980年(昭和60年)1月からは、A5版サイズで表紙をカラーに変更し『アニメイツ』として7号刊行された後、休刊しました。
そして8月からは、会員からも会費をとらない無料会員制に移行し、いつのまにか活動を休止していました。スタジオ内のショップは、1986年(昭和61年)の夏までは営業していましたが閉店され、その後再開することはありませんでした。(つづく)

A5判サイズに変更された会報「アニメイツ」
タブロイドサイズからの変更で、各作品の情報記事が
少なくなったのは残念でした。
「日本アニメクラブ」は、実際にアニメ制作に興味を持っているファンに門戸を開こうとしたところが、新鮮でした。これまでの日本アニメ作品を教材にして、アニメ制作のノウハウを公開するという理想をその活動内容の柱として謳っていたのです。
「作る側、受ける側のクリエイティブで心の通い合った交流をはかろう」と、「日本アニメクラブ」誕生を告知した号外1号では、呼びかけていました。
実際に聖蹟桜ヶ丘にあったスタジオでは、会員向けの上映会も行われていました。またスタジオ内のスペースで販売していた、セル画を通販で買える特典もありました。ただセルや絵コンテ、シナリオなどは販売していたのですが、原画や動画などは通販されていませんでした。
後に夏休みのときに上京して聖蹟桜ヶ丘の駅から長い田んぼのあぜ道を抜けてスタジオを訪れた時、動画を1カットずつ販売していることを知り、そこで販売されていた『ペリーヌ物語』や『リスのバナー』などの動画を、喜んで購入しました。
当時、カット袋の上段右上の隅に動画の枚数か書かれていて、その枚数で確か値段が決まっていたことを覚えています。自主アニメを作っていた人たちにとって、レイアウト、タイムシートと揃った動画は、とても良い教材になったことでしょう。
私も当時、既に放映は終わっていた『未来少年コナン』や『トム・ソーヤの冒険』の動画を希望したら、親切なショップの方が保存してあった動画を奥から出してきてくれたことも良い思い出です。
会報の「マンスリー・スタジオニュース」は、1980年(昭和60年)1月からは、A5版サイズで表紙をカラーに変更し『アニメイツ』として7号刊行された後、休刊しました。
そして8月からは、会員からも会費をとらない無料会員制に移行し、いつのまにか活動を休止していました。スタジオ内のショップは、1986年(昭和61年)の夏までは営業していましたが閉店され、その後再開することはありませんでした。(つづく)

A5判サイズに変更された会報「アニメイツ」
タブロイドサイズからの変更で、各作品の情報記事が
少なくなったのは残念でした。
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- テーマ:懐かしいアニメ作品
- ジャンル:アニメ・コミック
- カテゴリ:公式ファンクラブ事情
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