アニメブーム時の公式ファンクラブ事情⑮
- 2015/07/04
- 07:06
■「竜の子プロファンクラブ」その1
1978年(昭和53年)6月11日(日曜日)、新宿安田生命ホールでは「竜の子プロファンクラブ」結成大会が開かれました。
同年7月の『科学忍者隊ガッッチャマン』劇場版公開に向け、全国各地のファンの熱気も後押ししたようです。その劇場版の宣伝のため、スタッフたちのキャラバンも地方をまわっていました。
それまでもタツノコプロは、ファンには暖かい社風がありました。スタジオに届いたファンレターの返事に、セル画を送り返したり、熱心な手紙にはスタッフが返事を書いてくれたりしていました。
小さな展示会や、フィルム上映会なども頻繁に行われ、そこには九里一平さんや笹川ひろしさんなど主要スタッフも気軽に参加してくれていたのです。
元々創業者である吉田竜夫さんや九里さんも、まんが家出身でしたから、ファンとの交流についてもその反応を直接知ることが出来る機会ととらえていたのでしょうか。アニメブーム以前から近所の子どもが見学に来ても追い返したりせず、ちゃんと案内しておみやげにセル画まで渡していたそうです。
ただそのセル画を気に入らないからと、スタジオ周辺の田んぼに捨てられ、タツノコプロがそこの地主さんにお叱りを受けたこともあったそうです。
そのような流れもあり、前年9月に亡くなられた吉田竜夫さんの奥様、吉田綾子さんを会長に、タツノコプロでも公式ファンクラブを結成したのでしょう。
隔月刊のB5版のアットホームな雰囲気の会報や、国分寺にあったファンクラブ事務局を兼ねたタツノコアニメSHOPの通販では、セル画やシナリオなど制作資料を購入できたことも喜びでした。(つづく)

竜の子ファンクラブ入会案内書」(左)と1978年9月発行の「竜の子ファンクラブニュース NO.2」(右)
吉田竜夫さんを取りあげた2号は幼少時の写真や、奥様の追悼文、漫画家時代から未発表のラフ、
そして原征太郎さんや笹川ひろしさん、ルーニア高橋(天馬正人)さんなど、古くからのスタッフのコメントまで
掲載された総力特集でした。素晴らしい扉絵も吉田竜夫さんが描かれたものです。
1978年(昭和53年)6月11日(日曜日)、新宿安田生命ホールでは「竜の子プロファンクラブ」結成大会が開かれました。
同年7月の『科学忍者隊ガッッチャマン』劇場版公開に向け、全国各地のファンの熱気も後押ししたようです。その劇場版の宣伝のため、スタッフたちのキャラバンも地方をまわっていました。
それまでもタツノコプロは、ファンには暖かい社風がありました。スタジオに届いたファンレターの返事に、セル画を送り返したり、熱心な手紙にはスタッフが返事を書いてくれたりしていました。
小さな展示会や、フィルム上映会なども頻繁に行われ、そこには九里一平さんや笹川ひろしさんなど主要スタッフも気軽に参加してくれていたのです。
元々創業者である吉田竜夫さんや九里さんも、まんが家出身でしたから、ファンとの交流についてもその反応を直接知ることが出来る機会ととらえていたのでしょうか。アニメブーム以前から近所の子どもが見学に来ても追い返したりせず、ちゃんと案内しておみやげにセル画まで渡していたそうです。
ただそのセル画を気に入らないからと、スタジオ周辺の田んぼに捨てられ、タツノコプロがそこの地主さんにお叱りを受けたこともあったそうです。
そのような流れもあり、前年9月に亡くなられた吉田竜夫さんの奥様、吉田綾子さんを会長に、タツノコプロでも公式ファンクラブを結成したのでしょう。
隔月刊のB5版のアットホームな雰囲気の会報や、国分寺にあったファンクラブ事務局を兼ねたタツノコアニメSHOPの通販では、セル画やシナリオなど制作資料を購入できたことも喜びでした。(つづく)

竜の子ファンクラブ入会案内書」(左)と1978年9月発行の「竜の子ファンクラブニュース NO.2」(右)
吉田竜夫さんを取りあげた2号は幼少時の写真や、奥様の追悼文、漫画家時代から未発表のラフ、
そして原征太郎さんや笹川ひろしさん、ルーニア高橋(天馬正人)さんなど、古くからのスタッフのコメントまで
掲載された総力特集でした。素晴らしい扉絵も吉田竜夫さんが描かれたものです。
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- テーマ:懐かしいアニメ作品
- ジャンル:アニメ・コミック
- カテゴリ:公式ファンクラブ事情
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