水木しげる先生に感謝
- 2015/12/03
- 00:13
『ゲゲゲの鬼太郎』や『悪魔くん』、『河童の三平』でおなじみの水木しげる先生が、11月30日に93歳で亡くなられました。
私も、小さい頃より水木さんの数々のマンガを読んで育ってきました。
水木作品との最初の出会いは、1968年(昭和43年)に放映されたモノクロ版『ゲゲゲの鬼太郎』のテレビアニメです。
当時の幼い子どもには毎回出てくる妖怪が怖くて、見た日の夜は必ず布団の中で震えてしまうくらいでした。それならば、もう見るのを止めればいいのに、どうしても翌週が楽しみで見るのを止められない、不思議な魅力がありました。
幼いながらも、この時からもう水木作品の魅力に取り付かれ始めていたのかもしれません。
1971年(昭和46年)10月から放映されたカラー版『ゲゲゲの鬼太郎』は、他の水木作品からストーリーを移植したものも多く、より水木さんの世界に近くなっているかもしれません。
毎週怖がりながらも、必ず放映を見ていました。この頃は、おやつでもシスコの「ゲゲゲの鬼太郎チョコレート」が好きで、祖父と散歩の途中によく買ってもらっていたことを覚えています。
小学校高学年から中学生になると、『ゲゲゲの鬼太郎』や『河童の三平』以外でも、朝日ソノラマの新書判「サンコミックス」で出ていた短編集も探して読むようになりました。
怪奇モノ以外でも、幻想的な作品や、風刺の効いた作品など、子ども心にもどこかほかのマンガとは違う面白さを感じていました。
1976年(昭和51年)に二見書房から出たサラ文庫の『墓場鬼太郎』や『悪魔くん』そして『河童の三平』などの、貸本劇画版のオリジナルを読んだときは衝撃的でした。
その頃読んだ少年マガジン版の『ゲゲゲの鬼太郎』とは違い、荒々しくも叙情的で雰囲気のある独特のペンタッチに魅了されたのです。その前年くらいに『少年チャンピオン』で不定期に掲載されていた、『のんのんばあ』シリーズも好きでした。
1977年(昭和52年)くらいからは、サンコミックスで、「水木しげる幻想と怪奇」という新たな短編集のシリーズが出始めて、こちらも新刊の刊行を楽しみにしていました。
1978年(昭和53年)ポプラ社から出版された自伝『ほんまにオレはアホやろか』で、水木さんの壮絶な人生体験を知り、ますます水木さんのファンになりました。この緑色の表紙の本は、何度も読み返しています。
1985年(昭和60年)のテレビアニメ第3作になる『ゲゲゲの鬼太郎』は、スタッフもキャストも殆ど一新しましたが、当時の時代に合わせたライトになった鬼太郎の世界は、楽しみでした。
その後も、『ゲゲゲの鬼太郎』テレビアニメ化されています。また『河童の三平』も、日活でアニメ映画化されています。
幼少期から親しんできた水木しげるさんの作品は、大人になっても読み返すと新しい発見があります。
これまでたくさんの素晴らしい作品を送り出してくださった水木しげる先生に、今はただ感謝の気持ちで一杯です。

水木しげるさんの色紙

アニメ作品の原画
左上から時計回りに
1970年版『ゲゲゲの鬼太郎』、1985年版、1996年版、そして『悪魔くん』の真吾
私も、小さい頃より水木さんの数々のマンガを読んで育ってきました。
水木作品との最初の出会いは、1968年(昭和43年)に放映されたモノクロ版『ゲゲゲの鬼太郎』のテレビアニメです。
当時の幼い子どもには毎回出てくる妖怪が怖くて、見た日の夜は必ず布団の中で震えてしまうくらいでした。それならば、もう見るのを止めればいいのに、どうしても翌週が楽しみで見るのを止められない、不思議な魅力がありました。
幼いながらも、この時からもう水木作品の魅力に取り付かれ始めていたのかもしれません。
1971年(昭和46年)10月から放映されたカラー版『ゲゲゲの鬼太郎』は、他の水木作品からストーリーを移植したものも多く、より水木さんの世界に近くなっているかもしれません。
毎週怖がりながらも、必ず放映を見ていました。この頃は、おやつでもシスコの「ゲゲゲの鬼太郎チョコレート」が好きで、祖父と散歩の途中によく買ってもらっていたことを覚えています。
小学校高学年から中学生になると、『ゲゲゲの鬼太郎』や『河童の三平』以外でも、朝日ソノラマの新書判「サンコミックス」で出ていた短編集も探して読むようになりました。
怪奇モノ以外でも、幻想的な作品や、風刺の効いた作品など、子ども心にもどこかほかのマンガとは違う面白さを感じていました。
1976年(昭和51年)に二見書房から出たサラ文庫の『墓場鬼太郎』や『悪魔くん』そして『河童の三平』などの、貸本劇画版のオリジナルを読んだときは衝撃的でした。
その頃読んだ少年マガジン版の『ゲゲゲの鬼太郎』とは違い、荒々しくも叙情的で雰囲気のある独特のペンタッチに魅了されたのです。その前年くらいに『少年チャンピオン』で不定期に掲載されていた、『のんのんばあ』シリーズも好きでした。
1977年(昭和52年)くらいからは、サンコミックスで、「水木しげる幻想と怪奇」という新たな短編集のシリーズが出始めて、こちらも新刊の刊行を楽しみにしていました。
1978年(昭和53年)ポプラ社から出版された自伝『ほんまにオレはアホやろか』で、水木さんの壮絶な人生体験を知り、ますます水木さんのファンになりました。この緑色の表紙の本は、何度も読み返しています。
1985年(昭和60年)のテレビアニメ第3作になる『ゲゲゲの鬼太郎』は、スタッフもキャストも殆ど一新しましたが、当時の時代に合わせたライトになった鬼太郎の世界は、楽しみでした。
その後も、『ゲゲゲの鬼太郎』テレビアニメ化されています。また『河童の三平』も、日活でアニメ映画化されています。
幼少期から親しんできた水木しげるさんの作品は、大人になっても読み返すと新しい発見があります。
これまでたくさんの素晴らしい作品を送り出してくださった水木しげる先生に、今はただ感謝の気持ちで一杯です。

水木しげるさんの色紙

アニメ作品の原画
左上から時計回りに
1970年版『ゲゲゲの鬼太郎』、1985年版、1996年版、そして『悪魔くん』の真吾
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