国際映画社が駆け抜けた時代(その10)
- 2014/06/08
- 06:16
1984年(昭和59年)になると、異色作『宗谷物語』が始まりました。番組提供は、『一休さん』や夕方の再放送枠でもおなじみだった、日本船舶振興会です。
スポンサーが日本船舶振興会となったのが大きな理由だったのか、この作品はロボットやギャグ、少女モノなど、これまでの国際映画社作品とはまったく色合いが違いました。
後に南極観測船となった宗谷が辿ってきた数奇な歴史を、その時々の宗谷にからんだ様々な人たちのドラマと共に描いたものでした。ですから、主役はあくまで船である宗谷だったのです。メインキャラクターがいるとすれば、それはあくまで宗谷という船でした。
宗谷は、1936年(昭和13年)そもそもは耐氷型貨物船として建造され、貨物船の地領丸と名付けられて就航していました。それが戦時中には海軍に接収され、軍の運送艦・宗谷として船名を改めます。そして、幾度かの戦禍を免れた宗谷は、戦後は引き揚げ船として外地から多くの引揚者を本土へ連れて帰ってくれました。
その後、灯台補給船の役目を与えられていた宗谷でしたが、1956年(昭和31年)新たに南極観測船として改造されて1962年(昭和37年)まで、6回の南極観測の航海に出ました。有名な樺太犬タロとジロの物語もこの頃の実話です。
戦前から戦争中、そして戦後の日本が舞台になるのですから、毎回登場する人物もその時代背景も変わっていきます。シリーズ構成の山本優さんも、史実を元にしてその時代時代のドラマを起こしていくことは大変な作業だったでしょう。
またキャラクターの衣装や、登場する小道具などもSF作品とは違い、実物を描かなければなりません。時代考証も苦労されたと思います。その登場するキャラクターや小道具などを描いたのが、ベテランアニメーターの村田四郎さんたちでした。
古くは『おそ松くん』や『タイガーマスク』などで知られる村田さんでしたが、国際映画社では『ななこSOS』や『スラングル』などの作画監督、そして『サスライガー』のゲストキャラデザインと、それまで国際映画社作品に大きく貢献していらっしゃいました。
村田さんご自身の本来の絵は、素朴で暖かい絵柄でした。これは後に描かれた、講談社青い鳥文庫の『名探偵夢水清志郎シリーズ』(はやみねかおる/著)などの挿絵でもよく分ります。
その優しい絵柄で描かれた『宗谷物語』のキャラクターはとても作品世界に合っており、観る者を物語にひき込んでくれました。村田さんご自身も、この作品では自分の腕が発揮できると思っていらしたのでしょうか。オープニングとエンディングの絵コンテまで自ら手掛けていました。
後にそのコピーを見せていただく機会がありましたが、丁寧にカラーで描かれたというコンテは、それだけでもひとつの物語のようでした。
ただし、制作体制はいつも通りでした。作画、彩色、背景などは、海外出しが基本です。ですから、なかなか村田さんの意気込みどおりには回っていかない事情も、あったのではないでしょうか。
それでも村田さんは大事なスタートの1話、2話あたりは、レイアウトも自分で極力描き、クオリティを上げようとしておられました。そして、シリーズラストまで全話の作画監督を担当されたのです。
一度一部がビデオソフト化されただけで、以降DVDなどのソフト化はされず、今でもなかなか見ることの出来ない作品ですが、機会があれば是非もう一度見てみたいと思っています。(続く)

『宗谷物語』動画とレイアウトです。
スポンサーが日本船舶振興会となったのが大きな理由だったのか、この作品はロボットやギャグ、少女モノなど、これまでの国際映画社作品とはまったく色合いが違いました。
後に南極観測船となった宗谷が辿ってきた数奇な歴史を、その時々の宗谷にからんだ様々な人たちのドラマと共に描いたものでした。ですから、主役はあくまで船である宗谷だったのです。メインキャラクターがいるとすれば、それはあくまで宗谷という船でした。
宗谷は、1936年(昭和13年)そもそもは耐氷型貨物船として建造され、貨物船の地領丸と名付けられて就航していました。それが戦時中には海軍に接収され、軍の運送艦・宗谷として船名を改めます。そして、幾度かの戦禍を免れた宗谷は、戦後は引き揚げ船として外地から多くの引揚者を本土へ連れて帰ってくれました。
その後、灯台補給船の役目を与えられていた宗谷でしたが、1956年(昭和31年)新たに南極観測船として改造されて1962年(昭和37年)まで、6回の南極観測の航海に出ました。有名な樺太犬タロとジロの物語もこの頃の実話です。
戦前から戦争中、そして戦後の日本が舞台になるのですから、毎回登場する人物もその時代背景も変わっていきます。シリーズ構成の山本優さんも、史実を元にしてその時代時代のドラマを起こしていくことは大変な作業だったでしょう。
またキャラクターの衣装や、登場する小道具などもSF作品とは違い、実物を描かなければなりません。時代考証も苦労されたと思います。その登場するキャラクターや小道具などを描いたのが、ベテランアニメーターの村田四郎さんたちでした。
古くは『おそ松くん』や『タイガーマスク』などで知られる村田さんでしたが、国際映画社では『ななこSOS』や『スラングル』などの作画監督、そして『サスライガー』のゲストキャラデザインと、それまで国際映画社作品に大きく貢献していらっしゃいました。
村田さんご自身の本来の絵は、素朴で暖かい絵柄でした。これは後に描かれた、講談社青い鳥文庫の『名探偵夢水清志郎シリーズ』(はやみねかおる/著)などの挿絵でもよく分ります。
その優しい絵柄で描かれた『宗谷物語』のキャラクターはとても作品世界に合っており、観る者を物語にひき込んでくれました。村田さんご自身も、この作品では自分の腕が発揮できると思っていらしたのでしょうか。オープニングとエンディングの絵コンテまで自ら手掛けていました。
後にそのコピーを見せていただく機会がありましたが、丁寧にカラーで描かれたというコンテは、それだけでもひとつの物語のようでした。
ただし、制作体制はいつも通りでした。作画、彩色、背景などは、海外出しが基本です。ですから、なかなか村田さんの意気込みどおりには回っていかない事情も、あったのではないでしょうか。
それでも村田さんは大事なスタートの1話、2話あたりは、レイアウトも自分で極力描き、クオリティを上げようとしておられました。そして、シリーズラストまで全話の作画監督を担当されたのです。
一度一部がビデオソフト化されただけで、以降DVDなどのソフト化はされず、今でもなかなか見ることの出来ない作品ですが、機会があれば是非もう一度見てみたいと思っています。(続く)

『宗谷物語』動画とレイアウトです。
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- テーマ:懐かしいアニメ作品
- ジャンル:アニメ・コミック
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