『娘になった妻、のぶ代へ』砂川啓介/ 著
- 2016/01/30
- 08:25
古くからの『ドラえもん』ファンでしたら、アニメのドラえもんといえばやはり大山のぶ代さんの声が思い浮かぶでしょう。
その大山のぶ代さんのご主人でもある砂川啓介さんが、闘病生活を送る大山さんとの日々を本にされました。
私も、1979年(昭和54年)からテレビ朝日系列でスタートした、シンエイ動画版『ドラえもん』が好きでした。
放映当初は、平日の夕方に15分一本で放映され、それを楽しみにしていました。まだ絵も各話ごとにバラつきもありましたが、なにより『ドラえもん』の新作アニメを見ることができ嬉しかったのです。
声優もそれぞれのキャラクターのイメージにぴったりで、藤子・F・不二雄さんが、大山さんに「ドラえもんって、こういう声だったんですね」っておっしゃったというエピソードも納得できます。
大山さんご自身も、このキャラクターに惚れこんで、ドラえもんをやっている間は、他の声の出演は断っていたといいます。お子さんのいない大山さんは、ドラえもんをわが子のように思っていたそうです。
ところが大山さんはガンになられ、キャストも2005年に一新しました。その後脳梗塞を患われ徐々に認知症の症状が現れてきたのです。
砂川さんは最愛の奥様のため病気の事実を隠し続け看病に努められましたが、それも限界となり2015年5月にラジオで公表されました。
この本では、お二人の出会いから仲睦まじい生活、それが一転し大山さんがご体調を崩されてからの日々の生活が綴られています。
大山さんが認知症になられてからの日々の描写は壮絶で、言葉もありません。しかし、苦悩しながらも懸命に支えようとする砂川さんの献身的なお姿には、ただただ感謝の気持ちで一杯です。
人は必ず年をとり、いつかは老いていくものです。そして誰もが死を迎えます。それまで、誰もが健康でいられる保証はありません。老いれば身体が弱り、どこかしら悪くなっていきます。家族や自分がそうなった時、どうするのか。改めていろいろと考えさせられました。
今も大山さんを支え続ける砂川啓介さん。そして大山のぶ代さんには、お健やかな日々を過ごされますよう心から願っております。

砂川啓介著『娘になった妻、のぶ代へ』(双葉社刊)

帯番組で始まったシンエイ動画版初期『ドラえもん』
大山さんの「どうしたの、のび太くん」という声がきこえてきそうです。
その大山のぶ代さんのご主人でもある砂川啓介さんが、闘病生活を送る大山さんとの日々を本にされました。
私も、1979年(昭和54年)からテレビ朝日系列でスタートした、シンエイ動画版『ドラえもん』が好きでした。
放映当初は、平日の夕方に15分一本で放映され、それを楽しみにしていました。まだ絵も各話ごとにバラつきもありましたが、なにより『ドラえもん』の新作アニメを見ることができ嬉しかったのです。
声優もそれぞれのキャラクターのイメージにぴったりで、藤子・F・不二雄さんが、大山さんに「ドラえもんって、こういう声だったんですね」っておっしゃったというエピソードも納得できます。
大山さんご自身も、このキャラクターに惚れこんで、ドラえもんをやっている間は、他の声の出演は断っていたといいます。お子さんのいない大山さんは、ドラえもんをわが子のように思っていたそうです。
ところが大山さんはガンになられ、キャストも2005年に一新しました。その後脳梗塞を患われ徐々に認知症の症状が現れてきたのです。
砂川さんは最愛の奥様のため病気の事実を隠し続け看病に努められましたが、それも限界となり2015年5月にラジオで公表されました。
この本では、お二人の出会いから仲睦まじい生活、それが一転し大山さんがご体調を崩されてからの日々の生活が綴られています。
大山さんが認知症になられてからの日々の描写は壮絶で、言葉もありません。しかし、苦悩しながらも懸命に支えようとする砂川さんの献身的なお姿には、ただただ感謝の気持ちで一杯です。
人は必ず年をとり、いつかは老いていくものです。そして誰もが死を迎えます。それまで、誰もが健康でいられる保証はありません。老いれば身体が弱り、どこかしら悪くなっていきます。家族や自分がそうなった時、どうするのか。改めていろいろと考えさせられました。
今も大山さんを支え続ける砂川啓介さん。そして大山のぶ代さんには、お健やかな日々を過ごされますよう心から願っております。

砂川啓介著『娘になった妻、のぶ代へ』(双葉社刊)

帯番組で始まったシンエイ動画版初期『ドラえもん』
大山さんの「どうしたの、のび太くん」という声がきこえてきそうです。
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