回想の石黒昇さん(その7) 幻の『宇宙戦艦ヤマト』トークショー
- 2014/07/12
- 11:19
2012年の4月に、かつて石黒昇さんたちが手掛けた『宇宙戦艦ヤマト』のリメイク版、完全新作の『宇宙戦艦ヤマト2199』が劇場で先行公開されました。
前年あたりに、石黒さんからはリメイク版の企画が進んでいるという話はお聞きしていました。『ヤマト』の影響を受けた後輩たちが、どのような作品にしてくれるのか、とても楽しみにしておられました。
出来上がったオープニングの試写などを見てきた後は、「○○君がとても良い仕事をしてましたよ。ああ、名前出しちゃいけなかったかも、これは内緒ですよ、ハハハ。」と、嬉しそうに教えてくれていました。
このリメイク版の制作がきっかけではないでしょうが、石黒さんの周囲にもオリジナル『ヤマト』をリスペクトしてくれる人が増えてきていました。放送から37年以上が経ち、当時見ていた子どもたちは、皆社会の第一線で活躍しています。
石黒さんも仕事柄、テレビ局や広告代理店、ソフト関連会社などの方々と普段お会いする機会が多かったようです。その窓口になった人やその上司にあたるそれなりの役職に就いた人たちが、みんな「一作目の『宇宙戦艦ヤマト』が良かった。『ヤマト』の頃の話を聞かせてほしい」と、目を輝かせて石黒さんに言ってくるのだそうです。
そこで、この機会に『宇宙戦艦ヤマト』第一作を手がけたスタッフを集めて、そろそろトークショー的なイベントでもやろうか、という話が出ていたのです。
演出の石黒さん、作画の白土武さんなどを中心にして、第一作のスタッフが集まって当時の制作の思い出を語るという、アニメ史的にも意義のあるイベントになりそうでした。
私自身『宇宙戦艦ヤマト』には思い入れがありましたので、キャラクター設定の岡迫亘弘さんや、作画監督の小泉謙三さん、芦田豊雄さん、白土武さん。設定製作の野崎欣宏さんや、撮影監督の原屋楯男さんたちに、折あれば当時のことをお聞きしておりました。
石黒さんからも「このイベントでは、いろいろ手伝って欲しいことがある」と言われていましたので、いつでも馳せ参じるつもりでした。
残念ながら、石黒さんの最初の入院なども重なってこの企画は延期され、その後石黒さんも亡くなられて立ち消えになってしまいました。(つづく)

石黒さんが『ヤマト』の演出当時、使用していた主題歌のスコア
前年あたりに、石黒さんからはリメイク版の企画が進んでいるという話はお聞きしていました。『ヤマト』の影響を受けた後輩たちが、どのような作品にしてくれるのか、とても楽しみにしておられました。
出来上がったオープニングの試写などを見てきた後は、「○○君がとても良い仕事をしてましたよ。ああ、名前出しちゃいけなかったかも、これは内緒ですよ、ハハハ。」と、嬉しそうに教えてくれていました。
このリメイク版の制作がきっかけではないでしょうが、石黒さんの周囲にもオリジナル『ヤマト』をリスペクトしてくれる人が増えてきていました。放送から37年以上が経ち、当時見ていた子どもたちは、皆社会の第一線で活躍しています。
石黒さんも仕事柄、テレビ局や広告代理店、ソフト関連会社などの方々と普段お会いする機会が多かったようです。その窓口になった人やその上司にあたるそれなりの役職に就いた人たちが、みんな「一作目の『宇宙戦艦ヤマト』が良かった。『ヤマト』の頃の話を聞かせてほしい」と、目を輝かせて石黒さんに言ってくるのだそうです。
そこで、この機会に『宇宙戦艦ヤマト』第一作を手がけたスタッフを集めて、そろそろトークショー的なイベントでもやろうか、という話が出ていたのです。
演出の石黒さん、作画の白土武さんなどを中心にして、第一作のスタッフが集まって当時の制作の思い出を語るという、アニメ史的にも意義のあるイベントになりそうでした。
私自身『宇宙戦艦ヤマト』には思い入れがありましたので、キャラクター設定の岡迫亘弘さんや、作画監督の小泉謙三さん、芦田豊雄さん、白土武さん。設定製作の野崎欣宏さんや、撮影監督の原屋楯男さんたちに、折あれば当時のことをお聞きしておりました。
石黒さんからも「このイベントでは、いろいろ手伝って欲しいことがある」と言われていましたので、いつでも馳せ参じるつもりでした。
残念ながら、石黒さんの最初の入院なども重なってこの企画は延期され、その後石黒さんも亡くなられて立ち消えになってしまいました。(つづく)

石黒さんが『ヤマト』の演出当時、使用していた主題歌のスコア
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