宮本貞雄さんにお会いしました
- 2016/08/21
- 10:42
日米を股にかけ活躍してきたアニメーター・宮本貞雄さんに、久し振りにお会いしてきました。
宮本さんは、大阪でCMのアニメーターとしてそのキャリアをスタート後、その腕を買われて虫プロに招かれ『鉄腕アトム』や『悟空の大冒険』などに参加されました。
『リボンの騎士』や『アニマル1』、そしてタツノコプロの『決断』や『科学忍者隊ガッチャマン』などでの作画監督のお仕事を、記憶されているアニメファンも多いでしょう。
そして1991年からは何の伝手もないまま渡米し、その実力でディズニーに招かれ、同社専属のアーティストとして活躍されてきました。
手塚治虫さんの虫プロとウォルト・ディズニーのスタジオ、この両社に所属して仕事をしたアニメーターは、宮本貞雄さんだけでしょう。
2002年には定年を迎えてディズニーをリタイアされましたが、現地でクリエイティブ活動を続ける傍ら、毎年一時帰国された際は、専門学校などでの講義を積極的に行っていました。ご自身が日米の現場で経験されたことを日本の後進たちに伝えたいという思いを強くお持ちだったのです。
近年帰国されまたのですが、一時具合を悪くし入院されたと聞き心配していました。今回、杉井興治さんのご案内で久しぶりにお目にかかることが出来、少しずつ快復に向かっているというご様子にひとまず安心しました。
お戻りになったご自宅の書斎を見せていただき、ご自身の提唱されている武道『MIDO(身道)』のことやディズニー時代などについてお話しいただき、楽しいひとときを過ごさせていただきました。
まだまだやりたいことがあると力強く語ってくださった宮本さんに、若いこちらの方がまたエネルギーをいただいたような気もしました。

宮本さんの書斎にて

玄関のドアにある宮本さんの似顔絵プレート
ディズニー時代のスタジオの机の上にあったものだそうです
I met Mr. Sadao Miyamoto of an animator last week.
He was fine.
宮本さんは、大阪でCMのアニメーターとしてそのキャリアをスタート後、その腕を買われて虫プロに招かれ『鉄腕アトム』や『悟空の大冒険』などに参加されました。
『リボンの騎士』や『アニマル1』、そしてタツノコプロの『決断』や『科学忍者隊ガッチャマン』などでの作画監督のお仕事を、記憶されているアニメファンも多いでしょう。
そして1991年からは何の伝手もないまま渡米し、その実力でディズニーに招かれ、同社専属のアーティストとして活躍されてきました。
手塚治虫さんの虫プロとウォルト・ディズニーのスタジオ、この両社に所属して仕事をしたアニメーターは、宮本貞雄さんだけでしょう。
2002年には定年を迎えてディズニーをリタイアされましたが、現地でクリエイティブ活動を続ける傍ら、毎年一時帰国された際は、専門学校などでの講義を積極的に行っていました。ご自身が日米の現場で経験されたことを日本の後進たちに伝えたいという思いを強くお持ちだったのです。
近年帰国されまたのですが、一時具合を悪くし入院されたと聞き心配していました。今回、杉井興治さんのご案内で久しぶりにお目にかかることが出来、少しずつ快復に向かっているというご様子にひとまず安心しました。
お戻りになったご自宅の書斎を見せていただき、ご自身の提唱されている武道『MIDO(身道)』のことやディズニー時代などについてお話しいただき、楽しいひとときを過ごさせていただきました。
まだまだやりたいことがあると力強く語ってくださった宮本さんに、若いこちらの方がまたエネルギーをいただいたような気もしました。

宮本さんの書斎にて

玄関のドアにある宮本さんの似顔絵プレート
ディズニー時代のスタジオの机の上にあったものだそうです
I met Mr. Sadao Miyamoto of an animator last week.
He was fine.
- 関連記事
-
- 秋本治さんの『こち亀』ついに最終回
- 鷺巣さんとの観劇
- 宮本貞雄さんにお会いしました
- 深谷かほるさんの『夜廻り猫』グッズ
- アニメーション資材株式会社に行ってきました