回想の石黒昇さん(その9) 企画中だった自伝
- 2014/07/19
- 09:44
石黒昇さんからお送りいただいた膨大な資料を少しずつ整理していますと、やがていろいろなことがわかってきます。
石黒さんご自身も既に忘れていることも結構あり、お尋ねすると「ああ、そんなことはもう忘れてましたよ。それはですね、・・・」と、嬉しそうに、昔のことも思い出してくれました。
そんなやりとりを続けているうちに、かつての『テレビアニメ最前線』で書かれた石黒さんの歩みを、改めて聞書きという形でも作り直したいという気持ちが湧いてきました。
『テレビアニメ最前線』は、確かにエピソードも満載で素晴らしい本でした。ですが、もっと劇画家時代のつげ義春さんや遠藤政治さんたちとのエピソードや、自主作品の話なども詳しく知りたかったですし、なによりあの本では手塚プロ版の『鉄腕アトム』の監督として参加するところまでで、終わっていたからです。
その後の『超時空要塞マクロス』や『メガゾーン23』、『銀河英雄伝説』など、石黒さんの重要なお仕事の事もファンとして知りたいと思っていました。
『マクロス』や『メガゾーン23』など、いずれの作品も当時の若いスタッフを率いての、革新的な作品となりましたが、アートランドの社長として厳しいビジネスの前面に立っておられた石黒さんには、誰にも明かせない大変なご苦労があったはずです。そんなことも含めてもう時効でしょうし、アニメ史のひとつとして是非記録に残させて欲しかったのです。
それをお願いしましたら、「今更自分で書くことはあまり出来ないかもしれないけど、アナタがそう言ってくれるのなら二人で作りましょう」と、ご快諾していただきました。
今はなかなか書き下ろしで出版企画を通すのも難しい時代ですから、とりあえずWEB上でも始める形で、という相談もしていました。
石黒さんもアートランドのホームページにエッセイを連載していたこともありましたから、WEB連載という形にも抵抗はお持ちではありませんでした。
そんな頃、「ちょっと入院するので退院したら、その企画についてゆっくり話しましょう」というメールを年末にいただきました。
入院中の2012年3月、容体が悪化されて石黒さんは亡くなられたという報せを受けたのです。(続く)

「石黒昇さんを送る会」で配られた小冊子
石黒さんご自身も既に忘れていることも結構あり、お尋ねすると「ああ、そんなことはもう忘れてましたよ。それはですね、・・・」と、嬉しそうに、昔のことも思い出してくれました。
そんなやりとりを続けているうちに、かつての『テレビアニメ最前線』で書かれた石黒さんの歩みを、改めて聞書きという形でも作り直したいという気持ちが湧いてきました。
『テレビアニメ最前線』は、確かにエピソードも満載で素晴らしい本でした。ですが、もっと劇画家時代のつげ義春さんや遠藤政治さんたちとのエピソードや、自主作品の話なども詳しく知りたかったですし、なによりあの本では手塚プロ版の『鉄腕アトム』の監督として参加するところまでで、終わっていたからです。
その後の『超時空要塞マクロス』や『メガゾーン23』、『銀河英雄伝説』など、石黒さんの重要なお仕事の事もファンとして知りたいと思っていました。
『マクロス』や『メガゾーン23』など、いずれの作品も当時の若いスタッフを率いての、革新的な作品となりましたが、アートランドの社長として厳しいビジネスの前面に立っておられた石黒さんには、誰にも明かせない大変なご苦労があったはずです。そんなことも含めてもう時効でしょうし、アニメ史のひとつとして是非記録に残させて欲しかったのです。
それをお願いしましたら、「今更自分で書くことはあまり出来ないかもしれないけど、アナタがそう言ってくれるのなら二人で作りましょう」と、ご快諾していただきました。
今はなかなか書き下ろしで出版企画を通すのも難しい時代ですから、とりあえずWEB上でも始める形で、という相談もしていました。
石黒さんもアートランドのホームページにエッセイを連載していたこともありましたから、WEB連載という形にも抵抗はお持ちではありませんでした。
そんな頃、「ちょっと入院するので退院したら、その企画についてゆっくり話しましょう」というメールを年末にいただきました。
入院中の2012年3月、容体が悪化されて石黒さんは亡くなられたという報せを受けたのです。(続く)

「石黒昇さんを送る会」で配られた小冊子
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