テレビアニメ創世記の背景を支えたのは
- 2016/10/09
- 07:29
現在発売中の『まんだらけZENBU77号』(まんだらけ出版刊)に、『まんがはじめて物語』や『まんがどうして物語』でおなじみのベテラン美術監督、八村博也さんのインタビューが掲載されています。
後に八村さんは、鈴木森繁さんとスタジオじゃっくを興されましたが、1968年(昭和38)年1月からスタートした虫プロの『鉄腕アトム』(原作/手塚治虫)から、アニメーションの制作現場に参加されました。
画家を目指していた八村さんが、日本初の30分のテレビアニメシリーズに参加するきっかけは、武蔵野美術学校(武蔵野美術大学)の同級生からの打診でした。
先に虫プロの『ある街角の物語』に参加していた半藤克美さんからの誘いで面接を受け、あれよあれよという間にテレビアニメシリーズ立ち上げの喧騒に巻き込まれていったのです。
自分の絵を描きたかった八村さんは、常に辞めることを考えていたそうですが、持ち前の責任感からそれも出来ず、以降もアニメの背景美術に関わることになりました。
今回興味深かったのは、実は最初の虫プロ背景部門には、同じく同級生だった椋尾篁さんも参加されていたことです。
八村さんや半藤さん、鈴木さん、そして椋尾さんは同窓生ですが、実は同じ下宿屋さんに下宿していたのです。しかも、そこには川本征平さんや新井寅雄さんも居たそうです。
美術だけでなく東京ムービーや日本サンライズの立ち上げにも深くかかわった半藤さん、『銀河鉄道999』や、『セロ弾きのゴーシュ』の椋尾さん、大長編やテレビシリーズの『ドラえもん』でおなじみの川本征平さん、『宇宙戦士バルディオス』、『うる星やつら』の新井寅雄さん、『宇宙伝説ユリシーズ31』の鈴木さんなど、八村さんをはじめとしてその後の日本のアニメの美術を担ってきた方々が、皆同じ学校の下宿仲間だったことは、不思議な縁を感じざるをえません。
八村さんと鈴木さんのじゃっく、椋尾さんのムクオスタジオ、川本さんのアトリエローク、新井さんのプロダクションアイからは、多くの後進を輩出しています。
もし、半藤さんがアニメ背景のアルバイトに友人たちを誘わなかったらと考えると、そこに運命的なものも感じます。
テレビアニメの背景美術のルーツが分かり、知られざるテレビアニメ史の一面としてもオススメです。

『まんだらけZENBU77号』(まんだらけ出版刊)
後に八村さんは、鈴木森繁さんとスタジオじゃっくを興されましたが、1968年(昭和38)年1月からスタートした虫プロの『鉄腕アトム』(原作/手塚治虫)から、アニメーションの制作現場に参加されました。
画家を目指していた八村さんが、日本初の30分のテレビアニメシリーズに参加するきっかけは、武蔵野美術学校(武蔵野美術大学)の同級生からの打診でした。
先に虫プロの『ある街角の物語』に参加していた半藤克美さんからの誘いで面接を受け、あれよあれよという間にテレビアニメシリーズ立ち上げの喧騒に巻き込まれていったのです。
自分の絵を描きたかった八村さんは、常に辞めることを考えていたそうですが、持ち前の責任感からそれも出来ず、以降もアニメの背景美術に関わることになりました。
今回興味深かったのは、実は最初の虫プロ背景部門には、同じく同級生だった椋尾篁さんも参加されていたことです。
八村さんや半藤さん、鈴木さん、そして椋尾さんは同窓生ですが、実は同じ下宿屋さんに下宿していたのです。しかも、そこには川本征平さんや新井寅雄さんも居たそうです。
美術だけでなく東京ムービーや日本サンライズの立ち上げにも深くかかわった半藤さん、『銀河鉄道999』や、『セロ弾きのゴーシュ』の椋尾さん、大長編やテレビシリーズの『ドラえもん』でおなじみの川本征平さん、『宇宙戦士バルディオス』、『うる星やつら』の新井寅雄さん、『宇宙伝説ユリシーズ31』の鈴木さんなど、八村さんをはじめとしてその後の日本のアニメの美術を担ってきた方々が、皆同じ学校の下宿仲間だったことは、不思議な縁を感じざるをえません。
八村さんと鈴木さんのじゃっく、椋尾さんのムクオスタジオ、川本さんのアトリエローク、新井さんのプロダクションアイからは、多くの後進を輩出しています。
もし、半藤さんがアニメ背景のアルバイトに友人たちを誘わなかったらと考えると、そこに運命的なものも感じます。
テレビアニメの背景美術のルーツが分かり、知られざるテレビアニメ史の一面としてもオススメです。

『まんだらけZENBU77号』(まんだらけ出版刊)
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