金山明博さんとの不思議なご縁 その1
- 2014/07/27
- 20:42
1998年の春くらいのことだったでしょうか。「仮面ライダー・カード」研究家で、特撮ライターでもある堤哲哉さんに、「『仮面ライダー』や『ジャイアントロボ』などでおなじみの東映のプロデューサー・平山亨さんが池袋でトークショーを開くから、一緒に行かない?」と、誘っていただきました。
子どもの頃から、アニメも好きでしたが特撮もずっと見てましたから、テロップで見ていた平山さんのお名前はしっかりと心に刻まれていました。もちろん二つ返事で同行させてもらいました。
会場は、現在漫画史研究家として活躍していらっしゃる本間正幸さんが当時経営されていた、マンガ喫茶「メトロポリス」でした。
そこで平山さんと一緒にトーク・ゲストで招かれていたのが、金山明博さんだったのです。特撮とアニメの両巨匠にとっても初めての遭遇は、お互いお話し上手で興味深いものとなりました。
平山さんご自身も、石森(石ノ森)章太郎さんとのご縁などで、テレビアニメの企画を手掛けたことはあったそうです。ただ、一時期本社内で机を並べたことがあるアニメを専門とされていたプロデューサーの飯島敬さんから、「実写とアニメは全然勝手が違うから、アニメは専門に任せたほうがいい」と普段は言われていたそうでした。
確かに東映本社も東映動画と別にアニメ作品を製作していましたが、『超電磁ロボ コン・バトラーV』の日本サンライズ、『宇宙魔神ダイケンゴー』の鳥プロ、『宇宙大帝ゴッドシグマ』の東京動画など、本社作品は外の会社に任せる形が普通だったようです。
ただ平山さんがプロデュースされた『悪魔くん』や『仮面の忍者赤影』などは後年、東映動画によってテレビアニメとしてリメイクされています。颯爽と登場するヒーローの『赤影』は、金山さんのキャラクターデザイン・作画監督でした。そう考えると、不思議なご縁のあるお二人でした。
もちろん私自身、金山さんが作画された『超電磁マシーン ボルテスV』の最終回や、『闘将ダイモス』などのキャラクターの感情のこもった濃いタッチは印象的でしたし、『超電磁ロボ コン・バトラーV』や『最強ロボ ダイオージャ』。そして古くは『あしたのジョー』から金山さんの作画は大好きでした。
会の終了後、本間さんの紹介で少し金山さんとも話させていただくことが出来ました。その時が初対面でしたが、天馬正人先生ともお互い知り合いだったこともあり、そのことも話題に上がりました。
当時、代々木アニメーション学院の講師として、日々若い生徒さんを教えておられたご経験もあったのでしょう。その場に来ていたファンの誰にでも、優しくフランクに接しておられた金山さんの姿は印象的でした。(つづく)

金山さんが手掛けた表紙 『アニメージュ』1978年12月号とロマンアルバム『あしたのジョー』
『アニメージュ』表紙のリヒテルは紫色だが、実際の原画は赤茶色だった
子どもの頃から、アニメも好きでしたが特撮もずっと見てましたから、テロップで見ていた平山さんのお名前はしっかりと心に刻まれていました。もちろん二つ返事で同行させてもらいました。
会場は、現在漫画史研究家として活躍していらっしゃる本間正幸さんが当時経営されていた、マンガ喫茶「メトロポリス」でした。
そこで平山さんと一緒にトーク・ゲストで招かれていたのが、金山明博さんだったのです。特撮とアニメの両巨匠にとっても初めての遭遇は、お互いお話し上手で興味深いものとなりました。
平山さんご自身も、石森(石ノ森)章太郎さんとのご縁などで、テレビアニメの企画を手掛けたことはあったそうです。ただ、一時期本社内で机を並べたことがあるアニメを専門とされていたプロデューサーの飯島敬さんから、「実写とアニメは全然勝手が違うから、アニメは専門に任せたほうがいい」と普段は言われていたそうでした。
確かに東映本社も東映動画と別にアニメ作品を製作していましたが、『超電磁ロボ コン・バトラーV』の日本サンライズ、『宇宙魔神ダイケンゴー』の鳥プロ、『宇宙大帝ゴッドシグマ』の東京動画など、本社作品は外の会社に任せる形が普通だったようです。
ただ平山さんがプロデュースされた『悪魔くん』や『仮面の忍者赤影』などは後年、東映動画によってテレビアニメとしてリメイクされています。颯爽と登場するヒーローの『赤影』は、金山さんのキャラクターデザイン・作画監督でした。そう考えると、不思議なご縁のあるお二人でした。
もちろん私自身、金山さんが作画された『超電磁マシーン ボルテスV』の最終回や、『闘将ダイモス』などのキャラクターの感情のこもった濃いタッチは印象的でしたし、『超電磁ロボ コン・バトラーV』や『最強ロボ ダイオージャ』。そして古くは『あしたのジョー』から金山さんの作画は大好きでした。
会の終了後、本間さんの紹介で少し金山さんとも話させていただくことが出来ました。その時が初対面でしたが、天馬正人先生ともお互い知り合いだったこともあり、そのことも話題に上がりました。
当時、代々木アニメーション学院の講師として、日々若い生徒さんを教えておられたご経験もあったのでしょう。その場に来ていたファンの誰にでも、優しくフランクに接しておられた金山さんの姿は印象的でした。(つづく)

金山さんが手掛けた表紙 『アニメージュ』1978年12月号とロマンアルバム『あしたのジョー』
『アニメージュ』表紙のリヒテルは紫色だが、実際の原画は赤茶色だった
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