伸童舎の創業者で、アニメプロデューサーだった野崎 欣宏(よしひろ)さんが、1月10日に75歳で亡くなられました。
野崎さんは、小さいころからラジオや小説、マンガなどに親しみ、手塚治虫さんのもとで働こうと虫プロに入社。『鉄腕アトム』のスケジュールに追われ殺気立っていた社内で、手塚さん考案のバンクシステムの運用を任されます。そして、どういう場面が欲しいという現場からの要求に応え、頼りにされていました。
当時、このカットは今後も使えるから取っておいて、と演出から指示されたカットでも、野崎さんの判断で絵がダメだったら即座に捨てていたくらい、クオリティにも厳しい姿勢を貫いていました。
当時、散逸していた手塚さんの著書を古書店などをまわり、コツコツと買い戻したのも野崎さんです。
まだマンガ本の価値を認められていない時代から、これらは貴重な資料だからいずれ役立つ時が来るという信念を持ち、手塚さんの珍しい本が出たと聞くと飛び回っていたのです。
絵本やソノシートにセル画を使用したのも、セルの利用法を考えた野崎さんの考案だったそうです。
「あの頃、絵が描けるわけじゃないから、俺は単純に手塚さんの役に立ちたかっただけなんだよ」と昔、照れながら酒の席でお話いただいたことを覚えています。
インターネットのない時代でも、アニメで描くためには様々な写真や資料は必要です。野崎さんは資料室に在籍し、『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』、『わんぱく探偵団』などの資料集めに奮闘されました。
その後、虫プロに倒産まで在籍し、西崎義展さんに請われ『宇宙戦艦ヤマト』の企画に設定制作として参加。企画当初、参加していなかった松本零士さんを西崎さんに推薦したのも、野崎さんでした。
そして日本サンライズでは、東映作品の『超電磁ロボ コン・バトラーV』や『超電磁マシーン ボルテスV』、『闘将ダイモス』、『サイボーグ009』などの制作担当。アカデミー製作(東京動画)では、『宇宙戦艦ヤマトⅢ』、『宇宙空母ブルーノア』のプロデューサー、『宇宙大帝ゴッドシグマ』の制作担当と、さまざまな作品の実制作の要となる要職を歴任しました。
アニメ関連の出版物でも、『宇宙戦艦ヤマト全記録集』(オフィスアカデミー)や、『機動戦士ガンダム記録全集』(日本サンライズ)を2巻から編纂。アニメブーム初期に、『手塚治虫アニメ選集』(少年画報社)を手がけたのも野崎さんでした。
そのほか、多くの後のクリエイターを常連客から排出した、伝説の「まんが画廊」をプロデュースされるなど、野崎さんの業界への貢献はあまり知られてはいませんが大きなものでした。
しかも、常に俯瞰的な視点からマンガ・アニメの世界を見渡し、ファンである次世代にバトンを渡すことを考えておられたのです。
私もそのバトンを受け取った世代の一人として、改めて野崎さんに感謝を申し上げます。
葬祭場に並べられた数々の思い出の品
葬儀には、金山明博さん、原屋楯男さん(『宇宙戦艦ヤマト』撮影監督)、田崎正夫さん
(『宇宙戦艦ヤマト』彩色)など、虫プロ時代から50年の付き合いのご友人や安彦良和さんも出席されていました。
野崎さんがモデルと噂された『無敵超人サンボット3』のゲストキャラクター、
野崎副総理の絵も飾られていました。
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