金山明博さんとの不思議なご縁 その3
- 2014/08/02
- 09:32
金山さんは、元々兎月書房の劇画誌『摩天楼』でデビューされ、『街』や『1・2・3』などの劇画誌で活躍されていました。その後は、講談社や秋田書店、少年画報社などの雑誌でも連載を持つ人気マンガ家だったのです。
そして『ジャングル大帝』の頃に虫プロに参加され、アニメーターとして『わんぱく探偵団』や『千夜一夜物語』、『あしたのジョー』や『新ムーミン』など、数々の作品を手掛けられました。その後は日本サンライズに招かれ、『超電磁ロボ コン・バトラーV』や『超電磁マシーン ボルテスV』、『闘将ダイモス』、そして『未来ロボ ダルタニアス』などのメインの作画監督としてスタジオに常駐され、奮闘してこられたことはご存知のとおりです。
私も、『あしたのジョー』や『コン・バトラーV』、『闘将ダイモス』、そして『最強ロボ ダイオージャ』など、少年時代より金山さんの手掛ける数々の作品の絵に魅かれていました。金山さんの描かれた修正原画などアニメ資料の探求はもちろんでしたが、劇画時代の作品も長年コツコツと探していましたので、いろいろと興味深いお話を伺えました。
奇しくも金山さんもアニメーターになられる前、天馬正人先生にお世話になったそうで、二人で天馬先生との思い出話にも花が咲きました。
マンガ家修行時代、まだアニメを始める前の吉田竜夫さんの竜の子プロダクションに、『少年忍者部隊月光』などを連載している頃、短期間ですがアシスタントとして行ったこともあったそうです。
その時に、ストーリー構成を担当されていた天馬さんとのお付き合いが始まった、と伺いました。私も天馬さんにはよくしていただきましたので、この不思議なご縁には二人とも驚くばかりでした。
ある時期、せっかく連載が決まって順調だったのに、編集と衝突して干されたことがあったそうです。そんな時、他の雑誌の持込作品用にと天馬さんが原作を一晩寝ずに書いてくれたのです。
金山さんは記憶力もよく、劇画家時代から虫プロ、日本サンライズでのアニメーターとして多忙を極めていた頃まで、様々なエピソードを話してくれました。(つづく)

金山さんの修正原画 左下の『闘将ダイモス』の一矢の修正は、赤ボールペンで描かれている
そして『ジャングル大帝』の頃に虫プロに参加され、アニメーターとして『わんぱく探偵団』や『千夜一夜物語』、『あしたのジョー』や『新ムーミン』など、数々の作品を手掛けられました。その後は日本サンライズに招かれ、『超電磁ロボ コン・バトラーV』や『超電磁マシーン ボルテスV』、『闘将ダイモス』、そして『未来ロボ ダルタニアス』などのメインの作画監督としてスタジオに常駐され、奮闘してこられたことはご存知のとおりです。
私も、『あしたのジョー』や『コン・バトラーV』、『闘将ダイモス』、そして『最強ロボ ダイオージャ』など、少年時代より金山さんの手掛ける数々の作品の絵に魅かれていました。金山さんの描かれた修正原画などアニメ資料の探求はもちろんでしたが、劇画時代の作品も長年コツコツと探していましたので、いろいろと興味深いお話を伺えました。
奇しくも金山さんもアニメーターになられる前、天馬正人先生にお世話になったそうで、二人で天馬先生との思い出話にも花が咲きました。
マンガ家修行時代、まだアニメを始める前の吉田竜夫さんの竜の子プロダクションに、『少年忍者部隊月光』などを連載している頃、短期間ですがアシスタントとして行ったこともあったそうです。
その時に、ストーリー構成を担当されていた天馬さんとのお付き合いが始まった、と伺いました。私も天馬さんにはよくしていただきましたので、この不思議なご縁には二人とも驚くばかりでした。
ある時期、せっかく連載が決まって順調だったのに、編集と衝突して干されたことがあったそうです。そんな時、他の雑誌の持込作品用にと天馬さんが原作を一晩寝ずに書いてくれたのです。
金山さんは記憶力もよく、劇画家時代から虫プロ、日本サンライズでのアニメーターとして多忙を極めていた頃まで、様々なエピソードを話してくれました。(つづく)

金山さんの修正原画 左下の『闘将ダイモス』の一矢の修正は、赤ボールペンで描かれている
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