『超電磁ロボ コン・バトラーV』完結から40周年
- 2017/05/27
- 10:25
1976年(昭和51年)4月からNET(テレビ朝日)系でスタートした『超電磁ロボ コン・バトラーV』。最終回を迎えたのは、今から40年前の1977年(昭和52年)5月28日です。
途中何本か再放送も挟みましたが、最終話「平和の使者Vは不滅だ」で豹馬たちバトルチームは、キャンベル星人たちとの1年以上に渡った激闘を終えました。
そもそも企画当初は『ロボイダー6』という6台のメカが合体するロボットもので、原案は手塚治虫さんでした。それが、5台のメカが合体する『マグネスV』と変わったのです。この作品は、元々東映動画ではなく東映本社で企画されたものでした。その頃は、まだ制作会社も決まっておらず、キャラクターも実際とはまったく違うもので進行していました。
中心となったのは、東映動画でプロデューサーを務めていた飯島敬さんです。東映本社ではアニメーションのスタッフを持っていなかったため、『ミラクル少女リミットちゃん』や『魔女っ子メグちゃん』で付き合いのあったひろみプロに、作品の大元の設定などを依頼していました。
ひろみプロは当時、特撮『サンダーマスク』も手掛けていましたが、手塚治虫さんのスタッフの集まりです。虫プロ倒産の影響だったのか、手塚さんの名前を表に出さずにテレビにも進出していたようです。
そして制作会社として、『勇者ライディーン』の創映社(サンライズスタジオ)に白羽の矢が立ちました。ただ『勇者ライディーン』も制作を終えたばかりで、続編の可能性に賭けていた総監督の長浜忠夫さんたちは、受諾の返事を延ばして結果を待っていたそうです。
残念ながら『ライディ-ン』の続編企画は成立せず、スタッフたちは急ピッチで『マグネスV』という企画をブラッシュアップしていきます。
村野守美さんや成田マキホさんが描かれていたキャラクターは、安彦良和さんにより大幅変更されました。そして、バンダイより出ていたロボットのデザインも、パーツはそのままですが安彦さんがシャープに描き直されたのです。
最終的に番組のテロップには名前は出ませんでしたが、初期企画段階には原案として手塚治虫さんが関わっていたとは、興味深い話です。
40年前、アニメファンはテレビ画面で活躍する、『コン・バトラーV』のフレッシュで生き生きとしたキャラクターたちに魅了されていました。
魅力的なキャラクターの生みの親である安彦良和さん、そして、溌剌とした彼らを描き続けた金山明博さんら作画スタッフ。戦いの中の青春群像を描き出した長浜忠夫さんや富野善幸(現・由悠季)さんたち演出スタッフ。それぞれを生き生きと演じきった、三ツ矢雄二さんや上田みゆきさんら声優の皆さん。
この作品を創り出してくださった大勢のスタッフの皆さんに、当時夢中で見ていたファンとして改めて感謝申し上げます。
『超電磁ロボ コン・バトラーV』ひかりのくに絵本とセイカのぬりえ
まだ、アニメ雑誌もムックもビデオもなかった時代でした。
『超電磁ロボ コン・バトラーV』ミニブロマイド
かつてのブロマイドより小さいサイズでしたが、アニメの画面がそのまま
印刷されていたので、うれしいものでした。残念だったのは、豹馬たち
キャラクターが出ているものがなかったことです。
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