『マッハGOGOGO』の初放映から50周年
- 2017/06/18
- 07:55
2017年10月19日は、タツノコプロの創立55周年の記念日だそうです。
1962年(昭和37年)、タツノコプロは吉田竜夫さんと吉田健二さん、九里一平さんの3兄弟を中心に、天馬正人さんらも結集し漫画制作プロダクションとして発足しました。
そして、吉田竜夫さんの『チャンピオン太』(原作/梶原一騎)や、『少年忍者部隊月光』、『ハリス無段』(原作/梶原一騎)、九里一平さんの『マッハ三四郎』(原作/久米みのる)など、数々のヒット作が生まれました。創設3年後には、マンガ家集団でありながらアニメに乗り出し、第一作『宇宙エース』を発表したのです。
現在経営は吉田家の手から離れていますが、昨年から「タツノコ55(ゴーゴー)YEAR」として新作の制作やグッズ展開、イベントなどさまざまな企画を進行しています。
東武百貨店池袋本店では、7月には記念の展示も行われるそうです。吉祥寺では、6月25日まで「GO!!GO!!吉祥寺スタンプラリー」が開催されています。
実は今年、タツノコプロのアニメ第二作である『マッハGOGOGO』の初放映からも50周年を迎えています。
1967年(昭和42年)4月から、1968年(昭和43年)まで放映されたこの作品は、『スピードレーサー』というタイトルで海外でも根強い人気です。最近では2008年に、アメリカで実写映画化され話題になりました。
『マッハGOGOGO』はタツノコ初のカラー作品として、まだスポンサーが決まる前からマンガ家時代の原稿料をつぎ込みフィルムを制作した作品です。
二作目は、自分たち本来の絵柄でアニメを作りたい、という情熱からだったのでしょう。しかも同時期、手塚治虫さんの虫プロでは『ジャングル大帝』をカラーで制作していました。それを受けて、自分たちもカラーで勝負に出たのです。
『マッハGOGOGO』は、吉田さんがマンガ家時代、『少年画報』に連載していた『パイロットA』がそのベースになっていました。ただマシンは、美術監督である中村光毅さんの手により、より格好良さが増しています。
この作品への吉田さんの思い入れは、かなり強かったと思います。ソノシートやグッズなど版権モノのイラストも、自ら描いたものが結構ありました。そして昼は経営者として社長業をこなし、夜はスタジオに戻ってアップなどのカットの作監修正も手がけていたのです。
私も子ども時代、再放送で『マッハGOGGO』を何度も見て、絵柄とその世界に魅かれていました。
改めてタツノコプロ創立55周年とともに、吉田竜夫さんが心血を注いでおられた『マッハGOGOGO』の放映50周年も祝したいと思います。

吉田竜夫さんの『マッハGOGOGO』原画。
鉛筆のラフ画ですが、力強い描線に惚れ惚れします。
1962年(昭和37年)、タツノコプロは吉田竜夫さんと吉田健二さん、九里一平さんの3兄弟を中心に、天馬正人さんらも結集し漫画制作プロダクションとして発足しました。
そして、吉田竜夫さんの『チャンピオン太』(原作/梶原一騎)や、『少年忍者部隊月光』、『ハリス無段』(原作/梶原一騎)、九里一平さんの『マッハ三四郎』(原作/久米みのる)など、数々のヒット作が生まれました。創設3年後には、マンガ家集団でありながらアニメに乗り出し、第一作『宇宙エース』を発表したのです。
現在経営は吉田家の手から離れていますが、昨年から「タツノコ55(ゴーゴー)YEAR」として新作の制作やグッズ展開、イベントなどさまざまな企画を進行しています。
東武百貨店池袋本店では、7月には記念の展示も行われるそうです。吉祥寺では、6月25日まで「GO!!GO!!吉祥寺スタンプラリー」が開催されています。
実は今年、タツノコプロのアニメ第二作である『マッハGOGOGO』の初放映からも50周年を迎えています。
1967年(昭和42年)4月から、1968年(昭和43年)まで放映されたこの作品は、『スピードレーサー』というタイトルで海外でも根強い人気です。最近では2008年に、アメリカで実写映画化され話題になりました。
『マッハGOGOGO』はタツノコ初のカラー作品として、まだスポンサーが決まる前からマンガ家時代の原稿料をつぎ込みフィルムを制作した作品です。
二作目は、自分たち本来の絵柄でアニメを作りたい、という情熱からだったのでしょう。しかも同時期、手塚治虫さんの虫プロでは『ジャングル大帝』をカラーで制作していました。それを受けて、自分たちもカラーで勝負に出たのです。
『マッハGOGOGO』は、吉田さんがマンガ家時代、『少年画報』に連載していた『パイロットA』がそのベースになっていました。ただマシンは、美術監督である中村光毅さんの手により、より格好良さが増しています。
この作品への吉田さんの思い入れは、かなり強かったと思います。ソノシートやグッズなど版権モノのイラストも、自ら描いたものが結構ありました。そして昼は経営者として社長業をこなし、夜はスタジオに戻ってアップなどのカットの作監修正も手がけていたのです。
私も子ども時代、再放送で『マッハGOGGO』を何度も見て、絵柄とその世界に魅かれていました。
改めてタツノコプロ創立55周年とともに、吉田竜夫さんが心血を注いでおられた『マッハGOGOGO』の放映50周年も祝したいと思います。

吉田竜夫さんの『マッハGOGOGO』原画。
鉛筆のラフ画ですが、力強い描線に惚れ惚れします。
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