資料収集のきっかけとなった本③
- 2018/01/21
- 10:55
今では信じられないかもしれませんが、1977年前後のアニメブームでムックや雑誌が出始めるまでは、テレビアニメの放映リストやスタッフなどのデータは出版されてはいませんでした。
当時はまだインターネットも無い時代です。好きな作品が果たして全部で何話あり、どういったサブタイトルでどんなスタッフたちが携わっていたのかも、番組のテロップを見ながら自分たちでノートに書き留めていくしかありませんでした。
しかも地方の再放送のアニメは、毎回同じエンディングフィルムを使用したり、どうかすると時間短縮のためかエンディング自体をカットされていたことも結構ありました。
突発的な事件や事故などが起こると、夕方の再放送枠では緊急速報のテロップが流れます。それはまだいい方で、大きなニュースが入ると放送が飛ぶこともあり、そうなると見ることのできない話数も出てきてしまうのです。
この時代のファンは、それぞれが書き写して記録したものを、基礎資料とするしかありませんでした。そうやって注意して見ていくと、好きな作画の回なども分かってきます。
エンディングのテロップで作画監督の名前を確認し、自分がどのアニメーターの絵が好きなのかもだんだんと覚えていきました。
作品によっては研究系同人誌などにもリストが載っていることもあり、それを見てチェックしたりもしていました。(つづく)
『月刊マンガ少年増刊 TVアニメの世界』表4
自社広告とはいえ、アニメ関連のノベライズもこの『宇宙戦艦ヤマト』くらいの時代でした。
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