『ボクの満州 漫画家たちの敗戦体験』
- 2018/12/01
- 09:55
ちばてつやさんが『ビッグコミック』に2016年1月10日号から連載されている、『ひねもすのたり日記』。その単行本第1巻が、今年1月末に刊行されています。
これは、自伝的エッセイマンガで、ちばさんご自身の幼少時代からが描かれています。ちばさんは、満州で育ち6歳で敗戦を迎えます。
引揚げるまでの日々はマンガ『屋寝裏の絵本描き』でも明かされていますが、『ひねもすのたり日記』では、それ以上の悲惨な体験も描いていらっしゃいます。
『総務部総務課山口六平太』でおなじみの高井研一郎さんは、戦前上海で育っています。赤塚不二夫さんも満州育ちですし、マンガ家さんには引き揚げを経験された方も多くいらっしゃるのです。
実は、村上もとかさんの『フイチン再見』で半生を描かれた上田トシ子さんも、満州で働いていらっしゃいました。
そんなマンガ家さんたちの満州時代、そして引揚げをまとめた本があったことを思い出しました。
今から23年前、1995年7月に刊行された『ボクの満州 漫画家たちの戦争体験』(中国引揚げ漫画家の会/編)です。
執筆者は、ちばてつやさん、赤塚不二夫さん、上田トシ子さん、高井研一郎さん、古谷三敏さん、森田拳次さん、北見けんいちさん、横山孝雄さん、山内ジョージさんの9名の方々です。
それぞれが、自らの体験を文章で明かしてくれています。
多分、皆さん連載などでお忙しい時期で、語り下ろしを文章化したのでしょう。ただそれぞれが、印象的な場面をイラストで描いておられ、それが見事な挿絵として挿入されています。
戦前の生活から敗戦によって一変した日々。自害のため、父親から手榴弾を渡された方もいました。そんな自分達の命を守ってくれる軍や警察も無い外地で、死と向かい合わせの中、それぞれは子どもながらに必死に生き延びていきました。
いつ引揚げができるかわからないまま、危険から身を潜め生活をすることは並大抵のことではなかったと思います。
それでもこの方々が無事帰国できたのは、戦争中から親たちが現地の人たちと人間同士の交流をしていたからこそでしょう。ちばさん一家を匿ってくれた除さんのように、親切な人もいたのです。
多くの読者を魅了した作品を描いたマンガ家さんたちに引揚げ者が多くいたというのは、やはり大陸育ちということもあったかもしれません。
来年で平成も終わりますが、昭和の歴史として、このような体験を経験者が残してくれることは大切なことだと改めて思いました。

亜紀書房刊『ボクの満州 漫画家たちの戦争体験』(中国引揚げ漫画家の会/編)
赤塚不二夫さんが現地でよく聞いた「没法子(メイファーズ)」(仕方がない)という言葉は、
『天才バカボン』のパパの名セリフ「これでいいのだ」の精神にも通じる気がします。
これは、自伝的エッセイマンガで、ちばさんご自身の幼少時代からが描かれています。ちばさんは、満州で育ち6歳で敗戦を迎えます。
引揚げるまでの日々はマンガ『屋寝裏の絵本描き』でも明かされていますが、『ひねもすのたり日記』では、それ以上の悲惨な体験も描いていらっしゃいます。
『総務部総務課山口六平太』でおなじみの高井研一郎さんは、戦前上海で育っています。赤塚不二夫さんも満州育ちですし、マンガ家さんには引き揚げを経験された方も多くいらっしゃるのです。
実は、村上もとかさんの『フイチン再見』で半生を描かれた上田トシ子さんも、満州で働いていらっしゃいました。
そんなマンガ家さんたちの満州時代、そして引揚げをまとめた本があったことを思い出しました。
今から23年前、1995年7月に刊行された『ボクの満州 漫画家たちの戦争体験』(中国引揚げ漫画家の会/編)です。
執筆者は、ちばてつやさん、赤塚不二夫さん、上田トシ子さん、高井研一郎さん、古谷三敏さん、森田拳次さん、北見けんいちさん、横山孝雄さん、山内ジョージさんの9名の方々です。
それぞれが、自らの体験を文章で明かしてくれています。
多分、皆さん連載などでお忙しい時期で、語り下ろしを文章化したのでしょう。ただそれぞれが、印象的な場面をイラストで描いておられ、それが見事な挿絵として挿入されています。
戦前の生活から敗戦によって一変した日々。自害のため、父親から手榴弾を渡された方もいました。そんな自分達の命を守ってくれる軍や警察も無い外地で、死と向かい合わせの中、それぞれは子どもながらに必死に生き延びていきました。
いつ引揚げができるかわからないまま、危険から身を潜め生活をすることは並大抵のことではなかったと思います。
それでもこの方々が無事帰国できたのは、戦争中から親たちが現地の人たちと人間同士の交流をしていたからこそでしょう。ちばさん一家を匿ってくれた除さんのように、親切な人もいたのです。
多くの読者を魅了した作品を描いたマンガ家さんたちに引揚げ者が多くいたというのは、やはり大陸育ちということもあったかもしれません。
来年で平成も終わりますが、昭和の歴史として、このような体験を経験者が残してくれることは大切なことだと改めて思いました。

亜紀書房刊『ボクの満州 漫画家たちの戦争体験』(中国引揚げ漫画家の会/編)
赤塚不二夫さんが現地でよく聞いた「没法子(メイファーズ)」(仕方がない)という言葉は、
『天才バカボン』のパパの名セリフ「これでいいのだ」の精神にも通じる気がします。
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