金山明博さんに年明けのごあいさつ
- 2019/02/02
- 10:25
1月に、金山明博さんにお会いしてきました。
昨年末は、都内のホテルでサンライズの忘年会が盛大に開かれました。そこで、安彦良和さんや富野由悠季さんたちに、久しぶりにお会いできたそうです。
サンライズ時代、資料室で仕事をされていた風間洋(河原よしえ)さんや演出の加瀬充子さん、吉井孝幸さんなど、現場で共に働いていた人たちとも再会できて、嬉しかったそうです。
かつてのスタッフの顔を見ると、『超電磁ロボ コン・バトラーV』や『闘将ダイモス』など、当時のことを思い出されるとのこと。長浜忠夫さんや、塩山紀生さんなど、40年以上が経つと亡くなられた方も結構いらっしゃいます。お酒好きだった谷沢豊さんのことなど、いろいろとお話いただきました。
『コン・バトラー』時代、とある中堅アニメーターが描いてきた原画がひどかったので注意したことがあったそうです。
コン・バトラーの足の裏がアップになるカットで、その人は足の裏部分を何も描かずに真っ黒に塗りつぶしてきました。そこで「噴射口をちゃんと描いてほしい」と言ったら、そんなもの必要ないと、逆に食ってかかられたとのこと。
長浜さんや金山さんからすると、子ども向けの作品だからこそ、あるべきものはしっかりと描いて手抜きはいけないという姿勢だったのですが、分かってもらえないスタッフもいたそうです。
「まあ、仕事ですからいろんなことがありましたよ」と、苦笑しておられました。
今は少々腰の調子が良くありませんが、日課の長距離ウォーキングなどは継続中です。もう少し暖かくなったら、本格的に庭を手入れをし家庭菜園を始めるおつもりだそうです。
格闘技好きだった若き時代、お金も無かったのに何とか算段して、力道山対デストロイヤーを見に行き、四の字固めの攻防を固唾をのんで観戦したことなど、懐かしそうに教えていただきました。
ボクシングといえば、後楽園ホールに行くと、いつも必ず最前列に細身の若者が居ました。その人こそ、後の具志堅用高さんだったそうです。そのアフロヘアの印象が、後の『闘将ダイモス』での夕月京四郎になったのかと思うと、また興味深いお話です。
最近は、子どもの頃のことも結構思い出すそうです。幼少時、大本営の前でオート三輪にはねられ、奇跡的にケガをしなかったこと。そして、富山時代に通っていた大沢野小学校や、速星中学校時代の頃から考えると、アニメーターになるとは考えもしなかったけど、あのままマンガを描いていなくてよかったんですよ、と笑っておられました。
今月には80歳を迎えられる金山さんですが、「まだまだ描きたいこともいっぱいありますから、どんどん描きますよ」と笑顔で力強いお言葉もいただきました。

金山さんは、洋服はいつもご自分で探しておられるそうです。
昨年末は、都内のホテルでサンライズの忘年会が盛大に開かれました。そこで、安彦良和さんや富野由悠季さんたちに、久しぶりにお会いできたそうです。
サンライズ時代、資料室で仕事をされていた風間洋(河原よしえ)さんや演出の加瀬充子さん、吉井孝幸さんなど、現場で共に働いていた人たちとも再会できて、嬉しかったそうです。
かつてのスタッフの顔を見ると、『超電磁ロボ コン・バトラーV』や『闘将ダイモス』など、当時のことを思い出されるとのこと。長浜忠夫さんや、塩山紀生さんなど、40年以上が経つと亡くなられた方も結構いらっしゃいます。お酒好きだった谷沢豊さんのことなど、いろいろとお話いただきました。
『コン・バトラー』時代、とある中堅アニメーターが描いてきた原画がひどかったので注意したことがあったそうです。
コン・バトラーの足の裏がアップになるカットで、その人は足の裏部分を何も描かずに真っ黒に塗りつぶしてきました。そこで「噴射口をちゃんと描いてほしい」と言ったら、そんなもの必要ないと、逆に食ってかかられたとのこと。
長浜さんや金山さんからすると、子ども向けの作品だからこそ、あるべきものはしっかりと描いて手抜きはいけないという姿勢だったのですが、分かってもらえないスタッフもいたそうです。
「まあ、仕事ですからいろんなことがありましたよ」と、苦笑しておられました。
今は少々腰の調子が良くありませんが、日課の長距離ウォーキングなどは継続中です。もう少し暖かくなったら、本格的に庭を手入れをし家庭菜園を始めるおつもりだそうです。
格闘技好きだった若き時代、お金も無かったのに何とか算段して、力道山対デストロイヤーを見に行き、四の字固めの攻防を固唾をのんで観戦したことなど、懐かしそうに教えていただきました。
ボクシングといえば、後楽園ホールに行くと、いつも必ず最前列に細身の若者が居ました。その人こそ、後の具志堅用高さんだったそうです。そのアフロヘアの印象が、後の『闘将ダイモス』での夕月京四郎になったのかと思うと、また興味深いお話です。
最近は、子どもの頃のことも結構思い出すそうです。幼少時、大本営の前でオート三輪にはねられ、奇跡的にケガをしなかったこと。そして、富山時代に通っていた大沢野小学校や、速星中学校時代の頃から考えると、アニメーターになるとは考えもしなかったけど、あのままマンガを描いていなくてよかったんですよ、と笑っておられました。
今月には80歳を迎えられる金山さんですが、「まだまだ描きたいこともいっぱいありますから、どんどん描きますよ」と笑顔で力強いお言葉もいただきました。

金山さんは、洋服はいつもご自分で探しておられるそうです。
- 関連記事