モンキー・パンチさんに感謝
- 2019/04/24
- 20:18
『ルパン三世』でおなじみのマンガ家、モンキー・パンチさんが、4月11日に肺炎で亡くなられました。81歳でした。
もちろんこれはペンネームで、以前は、本名の加東一彦名で貸本劇画を発表しておられました。
1937年(昭和12年)北海道浜中町で生まれたモンキー・パンチさんは、20歳でマンガ家を目指し上京されます。その後、会社勤めを続けながら作品を描き続け、仲間たちと作った同人誌が双葉社の編集者だった清水文人さんの目に留まります。そして、清水さんから半ば強引に勧められたペンネームに改名後、『漫画アクション』創刊の中心作家になられたのです。
外国マンガのような西洋風で乾いたタッチ、そしてスタイリッシュなキャラクターとリアルな銃や外車などの描写は、しゃれていて格好良いものでした。
セクシーでファッショナブルなヒロインたちは、1965年(昭和40年)『漫画ストーリー』(双葉社刊)でメジャーデビューされた時から前面に出てきました。これは当時、清水さんの意向があったことが、『漫画アクション』誕生秘話が描かれた『ルーザーズ ~日本初の週刊青年漫画誌の誕生~』(吉本浩二/著)の中でも明かされています。
魅力的な女性キャラクターを描くために、本国版『プレイボーイ』誌などの輸入雑誌を参考にされたというのです。
やがて、1967年(昭和42年)に『ルパン三世』は連載がスタートし、1971年(昭和46年)には、東京ムービーによってテレビアニメ化されます。
第一シリーズとなる緑ジャケットのルパンは、本放送では視聴率は振るいませんでした。ただ、その後再放映を繰り返すうちファンが増え、大人気となっていきました。
これは原作の持つ、しゃれたセンスやハードボイルド、お色気、大人のユーモア、スラップスティックなど幅広い世界観が、アニメにより世間に知られたからでしょう。
もちろん作画監督の大塚康生さん、演出の大隅正秋さん、高畑勲さん、宮崎駿さんたち、アニメ化に際してのメインを担われた方々の功績も大きいものでした。
その後、再放映で人気が出た『ルパン三世』は、赤いジャケットで登場します。北原健雄さんが作画監督をされた第2シリーズは、ファミリー路線を狙ったのか幾分前作のハードボイルド路線からは遠ざかった感じもしました。
ですが「君はネコ ぼくはカツオ節」や、「チューインガム変装作戦」、「1999年ポップコーンの旅」などの楽しいエピソードも、原作の幅広い世界観があったからこそでした。
現在も、『ルパン三世』のアニメは次々に新作が制作され、世界中にファンがいます。
後世に残る素晴らしい『ルパン三世』という作品を生み出され、オリジナリティ溢れセンス抜群の絵師でもあったモンキー・パンチさんに感謝いたします。

1978年(昭和53年)、劇場版第一作『ルパン三世(マモー編)』公開前に発売された総集編 全3冊
原作は、新書版のパワァコミックスでも読んでいましたが、増刊で少しずつ明かされる映画の情報も楽しみでした。
もちろんこれはペンネームで、以前は、本名の加東一彦名で貸本劇画を発表しておられました。
1937年(昭和12年)北海道浜中町で生まれたモンキー・パンチさんは、20歳でマンガ家を目指し上京されます。その後、会社勤めを続けながら作品を描き続け、仲間たちと作った同人誌が双葉社の編集者だった清水文人さんの目に留まります。そして、清水さんから半ば強引に勧められたペンネームに改名後、『漫画アクション』創刊の中心作家になられたのです。
外国マンガのような西洋風で乾いたタッチ、そしてスタイリッシュなキャラクターとリアルな銃や外車などの描写は、しゃれていて格好良いものでした。
セクシーでファッショナブルなヒロインたちは、1965年(昭和40年)『漫画ストーリー』(双葉社刊)でメジャーデビューされた時から前面に出てきました。これは当時、清水さんの意向があったことが、『漫画アクション』誕生秘話が描かれた『ルーザーズ ~日本初の週刊青年漫画誌の誕生~』(吉本浩二/著)の中でも明かされています。
魅力的な女性キャラクターを描くために、本国版『プレイボーイ』誌などの輸入雑誌を参考にされたというのです。
やがて、1967年(昭和42年)に『ルパン三世』は連載がスタートし、1971年(昭和46年)には、東京ムービーによってテレビアニメ化されます。
第一シリーズとなる緑ジャケットのルパンは、本放送では視聴率は振るいませんでした。ただ、その後再放映を繰り返すうちファンが増え、大人気となっていきました。
これは原作の持つ、しゃれたセンスやハードボイルド、お色気、大人のユーモア、スラップスティックなど幅広い世界観が、アニメにより世間に知られたからでしょう。
もちろん作画監督の大塚康生さん、演出の大隅正秋さん、高畑勲さん、宮崎駿さんたち、アニメ化に際してのメインを担われた方々の功績も大きいものでした。
その後、再放映で人気が出た『ルパン三世』は、赤いジャケットで登場します。北原健雄さんが作画監督をされた第2シリーズは、ファミリー路線を狙ったのか幾分前作のハードボイルド路線からは遠ざかった感じもしました。
ですが「君はネコ ぼくはカツオ節」や、「チューインガム変装作戦」、「1999年ポップコーンの旅」などの楽しいエピソードも、原作の幅広い世界観があったからこそでした。
現在も、『ルパン三世』のアニメは次々に新作が制作され、世界中にファンがいます。
後世に残る素晴らしい『ルパン三世』という作品を生み出され、オリジナリティ溢れセンス抜群の絵師でもあったモンキー・パンチさんに感謝いたします。

1978年(昭和53年)、劇場版第一作『ルパン三世(マモー編)』公開前に発売された総集編 全3冊
原作は、新書版のパワァコミックスでも読んでいましたが、増刊で少しずつ明かされる映画の情報も楽しみでした。
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