本の持っていた価値の大きな変化 その1
- 2019/08/17
- 11:52
かつて、本や雑誌などの出版物は、それ自体を持っていることに価値がありました。思い起こせば1960年代頃、裕福な家庭では立派な書棚に百科事典や文学全集などが、応接間に揃えられていたものです。
それらの本があることが、一種のステイタスにもなっていたのでしょう。
友だちの家に行っても、その父上の書棚にずらっと古今東西の名著などが並べられていると、畏敬の念を抱いたものです。教養として深みのある多くの書物を読み、所有されていることは尊敬に値しました。そして本自体にも価値があったのです。
このことは、古書マニアの方が大作家たちの初版本や美本を探していることにも通じるかもしれません。1970年代から90年代くらいにかけて、夏目漱石や三島由紀夫などの作家や知られざる名著の初版本などが、高騰した時代がありました。
デパートで行われる催事イベントの古書展でも、お目当ての本を巡って蒐集家たちの熾烈な争いが繰り広げられていたようです。
マンガマニアの世界でも、手塚治虫の赤本時代の単行本はもとより、新書判でも虫コミックス全巻や秋田書店のサンデーコミックスの初期丸マーク、朝日ソノラマのサンコミックスの初期オビ付きなど、いずれも持っていれば一目置かれた時代がありました。
そんなマニアの世界だけではなく、昔は一般的にも読書は趣味のジャンルのひとつでした。
小説やノンフィクションなどの単行本はもちろん、音楽、美術、映画、芸能、ファッション、お店情報など、様々な趣味の最新の情報は、雑誌やムックから得ていました。
それぞれのページをめくって、文字や図版を追う体験とセットで、読み終えた本やムックを持っていることも楽しみだったと思います。
まだビデオやDVD、ましてやネットも無い時代です。多くのアニメファンは、アニメのムック本を何度も読み返して好きな作品を追体験していました。(つづく)

竹中労著『鞍馬天狗のおじさんは 聞書アラカン一代』
版を変えて出されるごとに、読み返した名作ノンフィクションです。
それらの本があることが、一種のステイタスにもなっていたのでしょう。
友だちの家に行っても、その父上の書棚にずらっと古今東西の名著などが並べられていると、畏敬の念を抱いたものです。教養として深みのある多くの書物を読み、所有されていることは尊敬に値しました。そして本自体にも価値があったのです。
このことは、古書マニアの方が大作家たちの初版本や美本を探していることにも通じるかもしれません。1970年代から90年代くらいにかけて、夏目漱石や三島由紀夫などの作家や知られざる名著の初版本などが、高騰した時代がありました。
デパートで行われる催事イベントの古書展でも、お目当ての本を巡って蒐集家たちの熾烈な争いが繰り広げられていたようです。
マンガマニアの世界でも、手塚治虫の赤本時代の単行本はもとより、新書判でも虫コミックス全巻や秋田書店のサンデーコミックスの初期丸マーク、朝日ソノラマのサンコミックスの初期オビ付きなど、いずれも持っていれば一目置かれた時代がありました。
そんなマニアの世界だけではなく、昔は一般的にも読書は趣味のジャンルのひとつでした。
小説やノンフィクションなどの単行本はもちろん、音楽、美術、映画、芸能、ファッション、お店情報など、様々な趣味の最新の情報は、雑誌やムックから得ていました。
それぞれのページをめくって、文字や図版を追う体験とセットで、読み終えた本やムックを持っていることも楽しみだったと思います。
まだビデオやDVD、ましてやネットも無い時代です。多くのアニメファンは、アニメのムック本を何度も読み返して好きな作品を追体験していました。(つづく)

竹中労著『鞍馬天狗のおじさんは 聞書アラカン一代』
版を変えて出されるごとに、読み返した名作ノンフィクションです。
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