魅力あふれる「タツ・マゴ」作品 その5
- 2014/11/09
- 08:27
■ 『宇宙魔神ダイケンゴー』①
1978年(昭和53年)7月からは、テレビ朝日系で『宇宙魔神ダイケンゴー』がスタートしました。これは東映本社の製作ということでしたが、東映が組んだのが鳥プロという新しい会社でした。
この鳥プロは、タツノコプロの文芸部長だった鳥海尽三さんが中心となって、文芸部の酒井あきよしさん、陶山智さんと立ち上げた会社です。
つまり『ダイケンゴー』は、それまでタツノコプロ作品のシナリオを担っていた文芸部の主力メンバーの作品だったのです。
行方不明の兄の設定は『マッハGOGOGO』の覆面レーサーを思い浮かべますし、敵のボス・ロボレオンのイメージは、『新造人間キャシャーン』のブライキングボスにも重なります。
これまで吉田竜夫さんの描いた絵を元に、『みなしごハッチ』や『科学忍者隊ガッチャマン』、『新造人間キャシャーン』など、数々の人気オリジナル作の企画、そして物語を創り上げてきた敏腕メンバーです。その設定やストーリー構成にも、これまでのタツノコ作品に通じる雰囲気が結構ありました。ただ、シナリオ作家集団の鳥プロには作画部門はありません。
そこで、キャラクターデザインには、高橋資祐さんと井口忠一さん、メカニックデザインに大河原邦男さん、美術監督に中村光毅さんを迎えました。そして、実際の制作現場を担ったのは、タツノコカラーの強いグリーンボックスという会社で、作画部門を支えていました。
各話作監には、二宮常雄さんや、井口忠一さんも参加されましたが、『宇宙戦艦ヤマト』でおなじみの小泉謙三さんなどの回もあり、各話の作画の違いも楽しめました。
余談ですが、制作部門の母体となったグリーンボックスは、同年10月に本家タツノコプロが開始した『科学忍者隊ガッチャマンⅡ』の下請けの発注も受けることになり、韓国作画の窓口となっていたそうです。
当時、本家の『ガッチャマンⅡ』と、『ダイケンゴー』を同じ会社が請けていたということも、意外な事実です。(つづく)

放映終了後アニメショップで売っていたセル画 東映の紙製の額に入れて販売されていました
1978年(昭和53年)7月からは、テレビ朝日系で『宇宙魔神ダイケンゴー』がスタートしました。これは東映本社の製作ということでしたが、東映が組んだのが鳥プロという新しい会社でした。
この鳥プロは、タツノコプロの文芸部長だった鳥海尽三さんが中心となって、文芸部の酒井あきよしさん、陶山智さんと立ち上げた会社です。
つまり『ダイケンゴー』は、それまでタツノコプロ作品のシナリオを担っていた文芸部の主力メンバーの作品だったのです。
行方不明の兄の設定は『マッハGOGOGO』の覆面レーサーを思い浮かべますし、敵のボス・ロボレオンのイメージは、『新造人間キャシャーン』のブライキングボスにも重なります。
これまで吉田竜夫さんの描いた絵を元に、『みなしごハッチ』や『科学忍者隊ガッチャマン』、『新造人間キャシャーン』など、数々の人気オリジナル作の企画、そして物語を創り上げてきた敏腕メンバーです。その設定やストーリー構成にも、これまでのタツノコ作品に通じる雰囲気が結構ありました。ただ、シナリオ作家集団の鳥プロには作画部門はありません。
そこで、キャラクターデザインには、高橋資祐さんと井口忠一さん、メカニックデザインに大河原邦男さん、美術監督に中村光毅さんを迎えました。そして、実際の制作現場を担ったのは、タツノコカラーの強いグリーンボックスという会社で、作画部門を支えていました。
各話作監には、二宮常雄さんや、井口忠一さんも参加されましたが、『宇宙戦艦ヤマト』でおなじみの小泉謙三さんなどの回もあり、各話の作画の違いも楽しめました。
余談ですが、制作部門の母体となったグリーンボックスは、同年10月に本家タツノコプロが開始した『科学忍者隊ガッチャマンⅡ』の下請けの発注も受けることになり、韓国作画の窓口となっていたそうです。
当時、本家の『ガッチャマンⅡ』と、『ダイケンゴー』を同じ会社が請けていたということも、意外な事実です。(つづく)

放映終了後アニメショップで売っていたセル画 東映の紙製の額に入れて販売されていました
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- テーマ:懐かしいアニメ作品
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- カテゴリ:「タツ・マゴ」作品
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