2020新春
- 2020/01/04
- 10:57
2020年(令和2年)の年が明けました。
今年は天候には恵まれたところも多かったようですが、やはり寒さは本格化しこれから冬本番のようです。
新しい年を迎え、天馬正人さんの描かれた色紙をご紹介します。『雲に乗る少年武者とお姫様』の図です。
天馬さんは、児童漫画家である太田じろうさんに師事され、昭和27年(1952年)に描き下ろし漫画単行本にて、大田加英二名義でデビューされました。
そして、太平洋文庫や鶴書房などで活躍された後、講談社の『少年クラブ』では、『スーパーゼット』(原作/宮川一郎)、たつみ勝丸名義で『ジャガーの目』(原作/高垣眸)や『かみくずおやこ』。そのほか『冒険王』などのメジャー誌にも連載を持つようになられました。
週刊少年漫画誌の黎明期には、『週刊少年マガジン』で『パトロールQ』というSF作品を長期連載され、こちらも人気となっていました。
その後、『パトロールQ』の扉絵を担当していた吉田竜夫さんに請われ、吉田三兄弟によるタツノコプロの創設に参加します。
当初は、まんがプロダクションとしてスタートした同社で『少年忍者部隊月光』などの、企画・構成を担当されました。そして、アニメ制作第一作の『宇宙エース』では、企画や脚本を手掛けられたのです。
以降は出版部部長として、同社の学年誌連載作や絵本など出版部門を長く担当され、晩年は、タツノコアニメ通信スクールを運営されました。
これは、昭和28年7月に描かれたものです。前年、念願のマンガ家デビューを果たされ、希望に胸を膨らませておられた頃の作品でしょう。
天馬さんは元々時代物が描きたかったこともあり、この時期はほぼ時代物でした。巻物を手にし溌剌とした若武者と愛らしいお姫様が雲に乗る姿は明るく、希望が伝わってきます。
実は、この絵は厚紙に描かれており、晩年の天馬さんはウラをカッター台代わりに使っていました。ですので、表面にも大きくキズが入っています。ある時、それに気づいて慌てて下さるようにお願いしました。
こんな素敵な絵でも、過去の作品は残されないところは天馬さんらしいのですが、「本当にこんなものが欲しいんですか」と、不思議そうにされたお姿は今でも覚えています。
この絵からも暖かく思いやりにあふれていた天馬先生のお人柄がうかがえます。

大田加英二(天馬正人)『雲に乗る少年武者とお姫様』
今年は天候には恵まれたところも多かったようですが、やはり寒さは本格化しこれから冬本番のようです。
新しい年を迎え、天馬正人さんの描かれた色紙をご紹介します。『雲に乗る少年武者とお姫様』の図です。
天馬さんは、児童漫画家である太田じろうさんに師事され、昭和27年(1952年)に描き下ろし漫画単行本にて、大田加英二名義でデビューされました。
そして、太平洋文庫や鶴書房などで活躍された後、講談社の『少年クラブ』では、『スーパーゼット』(原作/宮川一郎)、たつみ勝丸名義で『ジャガーの目』(原作/高垣眸)や『かみくずおやこ』。そのほか『冒険王』などのメジャー誌にも連載を持つようになられました。
週刊少年漫画誌の黎明期には、『週刊少年マガジン』で『パトロールQ』というSF作品を長期連載され、こちらも人気となっていました。
その後、『パトロールQ』の扉絵を担当していた吉田竜夫さんに請われ、吉田三兄弟によるタツノコプロの創設に参加します。
当初は、まんがプロダクションとしてスタートした同社で『少年忍者部隊月光』などの、企画・構成を担当されました。そして、アニメ制作第一作の『宇宙エース』では、企画や脚本を手掛けられたのです。
以降は出版部部長として、同社の学年誌連載作や絵本など出版部門を長く担当され、晩年は、タツノコアニメ通信スクールを運営されました。
これは、昭和28年7月に描かれたものです。前年、念願のマンガ家デビューを果たされ、希望に胸を膨らませておられた頃の作品でしょう。
天馬さんは元々時代物が描きたかったこともあり、この時期はほぼ時代物でした。巻物を手にし溌剌とした若武者と愛らしいお姫様が雲に乗る姿は明るく、希望が伝わってきます。
実は、この絵は厚紙に描かれており、晩年の天馬さんはウラをカッター台代わりに使っていました。ですので、表面にも大きくキズが入っています。ある時、それに気づいて慌てて下さるようにお願いしました。
こんな素敵な絵でも、過去の作品は残されないところは天馬さんらしいのですが、「本当にこんなものが欲しいんですか」と、不思議そうにされたお姿は今でも覚えています。
この絵からも暖かく思いやりにあふれていた天馬先生のお人柄がうかがえます。

大田加英二(天馬正人)『雲に乗る少年武者とお姫様』
- テーマ:懐かしいアニメ作品
- ジャンル:アニメ・コミック
- カテゴリ:Season's greetings
- CM:0
- TB:0