魅力あふれる「タツ・マゴ」作品 その10
- 2014/11/29
- 09:55
■ 「タツ・マゴ」作品の立役者たち①
吉田竜夫さん死去の前後に現れた、タツノコテイストの強く表れた他社作品たち。
『ブロッカー軍団Ⅳ マシーンブラスター』や『宇宙魔神ダイケンゴー』のキャラクターデザインを担当され、『超スーパーカー ガッタイガー』のチーフディレクターでもあった高橋資祐さんは、タツノコ退社後は、フリーとして日本サンライズ作品に参加されました。
『超電磁ロボ コン・バトラーV』や『超電磁マシーン ボルテスV』、『闘将ダイモス』など長浜忠夫さんの作品のテロップに、作画監督や演出としてお名前が出ていてたことを覚えています。この時期も、タツノコ時代と同じく海外のスタッフ班をまとめ、現地とスタジオを行ったりきたりの多忙な日々だったそうです。
以降は、スタジオドオタクを興され、古巣タツノコから依頼を受け『逆転イッパツマン』のオープニングの作画を担当されたり、スタジオぴえろの『うる星やつら』、『星銃士ビスマルク』などの作品にローテーション入りし活躍されました。当時『うる星やつら』の作画監督として奮闘されていた遠藤麻未さんも、高橋さんのスタジオドオタクのご出身でした。
高橋さんは、職人肌でどんな絵柄でも描きこなしてしまう、オールマイティのアニメーターでしたから、スタジオぴえろの人気作『幽々白書』や『NINKU 忍空』、そして2000年代に入っても、『探偵学園Q』などにも作画監督として参加され、アニメーターとして第一線で活躍されておられました。
またぴえろ作品に参加していた後期では、絵コンテを担当され、それを元にアニメーターが描いた原画を作画監督として修正するという、驚異的な仕事ぶりでした。制作会社にとっては、一ヶ月に1本仕上げてもらえる高橋さんの存在は、非常に貴重だったと思います。
ただご自身のルーツでもあったタツノコ色の濃いキャラクターデザインを、その後は手掛けることはありませんでした。
高橋さんは、2007年11月8日、66歳で亡くなられました。(つづく)
吉田竜夫さん死去の前後に現れた、タツノコテイストの強く表れた他社作品たち。
『ブロッカー軍団Ⅳ マシーンブラスター』や『宇宙魔神ダイケンゴー』のキャラクターデザインを担当され、『超スーパーカー ガッタイガー』のチーフディレクターでもあった高橋資祐さんは、タツノコ退社後は、フリーとして日本サンライズ作品に参加されました。
『超電磁ロボ コン・バトラーV』や『超電磁マシーン ボルテスV』、『闘将ダイモス』など長浜忠夫さんの作品のテロップに、作画監督や演出としてお名前が出ていてたことを覚えています。この時期も、タツノコ時代と同じく海外のスタッフ班をまとめ、現地とスタジオを行ったりきたりの多忙な日々だったそうです。
以降は、スタジオドオタクを興され、古巣タツノコから依頼を受け『逆転イッパツマン』のオープニングの作画を担当されたり、スタジオぴえろの『うる星やつら』、『星銃士ビスマルク』などの作品にローテーション入りし活躍されました。当時『うる星やつら』の作画監督として奮闘されていた遠藤麻未さんも、高橋さんのスタジオドオタクのご出身でした。
高橋さんは、職人肌でどんな絵柄でも描きこなしてしまう、オールマイティのアニメーターでしたから、スタジオぴえろの人気作『幽々白書』や『NINKU 忍空』、そして2000年代に入っても、『探偵学園Q』などにも作画監督として参加され、アニメーターとして第一線で活躍されておられました。
またぴえろ作品に参加していた後期では、絵コンテを担当され、それを元にアニメーターが描いた原画を作画監督として修正するという、驚異的な仕事ぶりでした。制作会社にとっては、一ヶ月に1本仕上げてもらえる高橋さんの存在は、非常に貴重だったと思います。
ただご自身のルーツでもあったタツノコ色の濃いキャラクターデザインを、その後は手掛けることはありませんでした。
高橋さんは、2007年11月8日、66歳で亡くなられました。(つづく)
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- テーマ:懐かしいアニメ作品
- ジャンル:アニメ・コミック
- カテゴリ:「タツ・マゴ」作品
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