魅力あふれる「タツ・マゴ」作品 その11
- 2014/11/30
- 08:58
■ 「タツ・マゴ」作品の立役者たち②
『宇宙魔神ダイケンゴー』や、『超スーパーカー ガッタイガー』、『テクノポリス21C』などの美術を手がけられたのは、『科学忍者隊ガッチャマン』や『昆虫物語みなしごハッチ』などのタツノコ作品でおなじみの中村光毅さんでした。
その後も、デザインオフィス・メカマンを率い、スタジオぴえろの『ニルスのふしぎな旅』や『まいっちんぐマチコ先生』。日本サンライズの『機動戦士ガンダム』、『伝説巨人イデオン』、『太陽の牙ダグラム』。
宮崎駿さんの『風の谷のナウシカ』。そして、『北斗の拳』、『キテレツ大百科』、『きまぐれオレンジ・ロード』など、数々の作品の美術を精力的に担当されました。
中村光毅さんは、2011年5月11日に67歳でこの世を去られました。
鳥プロで『宇宙魔神ダイケンゴー』を製作された鳥海尽三さんは、その後もシナリオ作家として、古巣のタツノコプロの『科学忍者隊ガッチャマンⅡ』や『科学忍者隊ガッチャマンF』『超時空騎団サザンクロス』。
日本サンライズの『装甲騎兵ボトムズ』や、『機甲界ガリアン』、そして『アニメ 野生のさけび』、『三国志』などに参加されました。またシナリオ作家集団である鳳工房を主宰され、後進の指導にも熱意をもっておられました。
タツノコ在籍中は、演出の鳥海永行さんと区別するため、鳥海尽三さんは、“大トリさん”、鳥海永行さんは“小トリさん”と呼ばれていたそうです。
『科学忍者隊ガッチャマン』の脚本は、鳥海尽三さんが第一話、そして最終話は鳥海永行さんが手掛けました。あの105話に渡るドラマは、まさにこの二人の鳥海さんがメインになって創り上げられたということなのでしょう。
鳥海尽三さんは、2008年1月17日78歳で、その生涯を閉じられました。
吉田竜夫さんと共に、黄金期のタツノコ作品を作ってこられた名スタッフが、亡くなられていくのは悲しいことですが、これまで数々の素晴らしい作品を見せてくださったことに、心より感謝申し上げたいと思います。(つづく)

中村光毅さんと鳥海尽三さんの書籍
『宇宙魔神ダイケンゴー』や、『超スーパーカー ガッタイガー』、『テクノポリス21C』などの美術を手がけられたのは、『科学忍者隊ガッチャマン』や『昆虫物語みなしごハッチ』などのタツノコ作品でおなじみの中村光毅さんでした。
その後も、デザインオフィス・メカマンを率い、スタジオぴえろの『ニルスのふしぎな旅』や『まいっちんぐマチコ先生』。日本サンライズの『機動戦士ガンダム』、『伝説巨人イデオン』、『太陽の牙ダグラム』。
宮崎駿さんの『風の谷のナウシカ』。そして、『北斗の拳』、『キテレツ大百科』、『きまぐれオレンジ・ロード』など、数々の作品の美術を精力的に担当されました。
中村光毅さんは、2011年5月11日に67歳でこの世を去られました。
鳥プロで『宇宙魔神ダイケンゴー』を製作された鳥海尽三さんは、その後もシナリオ作家として、古巣のタツノコプロの『科学忍者隊ガッチャマンⅡ』や『科学忍者隊ガッチャマンF』『超時空騎団サザンクロス』。
日本サンライズの『装甲騎兵ボトムズ』や、『機甲界ガリアン』、そして『アニメ 野生のさけび』、『三国志』などに参加されました。またシナリオ作家集団である鳳工房を主宰され、後進の指導にも熱意をもっておられました。
タツノコ在籍中は、演出の鳥海永行さんと区別するため、鳥海尽三さんは、“大トリさん”、鳥海永行さんは“小トリさん”と呼ばれていたそうです。
『科学忍者隊ガッチャマン』の脚本は、鳥海尽三さんが第一話、そして最終話は鳥海永行さんが手掛けました。あの105話に渡るドラマは、まさにこの二人の鳥海さんがメインになって創り上げられたということなのでしょう。
鳥海尽三さんは、2008年1月17日78歳で、その生涯を閉じられました。
吉田竜夫さんと共に、黄金期のタツノコ作品を作ってこられた名スタッフが、亡くなられていくのは悲しいことですが、これまで数々の素晴らしい作品を見せてくださったことに、心より感謝申し上げたいと思います。(つづく)

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- テーマ:懐かしいアニメ作品
- ジャンル:アニメ・コミック
- カテゴリ:「タツ・マゴ」作品
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