『昆虫物語みなしごハッチ』 祝放映50周年
- 2020/04/30
- 06:30
1970年(昭和45年)4月7日、フジテレビ系で『昆虫物語 みなしごハッチ』が、始まりました。1971年12月まで続き、全91話に渡るロングランの放映となりました。
当時は、1968年(昭和43年)3月から放映中の『巨人の星』や、1969年10月開始の『タイガーマスク』、12月開始の『アタックNO.1』など、スポ根ものが人気の主流でした。
ただ、タツノコプロを率いていた吉田竜夫さんは、どうしてもこの作品をやりたいと情熱を持っていました。「こういう作品を作りたいからタツノコプロを作った」とまで言っていたそうです。
親からはぐれた子どものミツバチが、母を探して旅をするという大元のストーリーと、キャラクターは吉田さんによって生み出されました。
これをどういう物語にしていくのか、それを託されたのが文芸部長だった鳥海尽三さんです。当初、吉田さんが描いてきたのは、ハチの女の子でした。
元々は、男の子を主人公に想定していたかもしれません。幼い頃に母親を亡くした吉田さんは、母親を探し求める主人公にご自身を投影していたとも考えられます。
主人公にあまり自分が重なりすぎることを避けて、あえて当初は女の子としていたのではないでしょうか。ですが鳥海さんのアドバイスもあり、吉田さんはあの印象的な男の子のハッチを描き上げます。
そして、生まれながらに悲しい宿命を背負ったハッチが、愛と勇気、忍耐の尊さを信じ、厳しい現実揉まれながら母に会える日を信じ成長していく物語を作り上げたのです。
吉田さんによる魅力的なキャラクター。鳥海尽三さんによる、甘いだけでない過酷な世界観の骨太なストーリー。中村光毅さんによるファンタジックかつ虫の視点のリアルな美術などが相まって、あのハッチの世界が生まれました。
ただ、吉田さんたちが創り上げた作品は前例が無いゆえに、テレビ局への売り込みは苦戦しました。
スポ根や特撮でも『ウルトラマン』など、戦いが描かれる潮流だった子ども番組枠に、メルヘンもののしかも有名児童文学の原作ものではない、ちっぽけな虫が主役のオリジナルを提案したのです。
各局から拒絶を受けた吉田さんたちは、まだ放送もスポンサーも決まっていないのに、情念のドラマの名手である演出家の芹川有吾さんを東映動画から招き、見切り発車で作品を作り始めます。そして、更に情熱を持って、売り込みをかけたのです。
努力の甲斐あって放送が始まると、視聴率もぐんぐん上がり、お茶の間では大人気となりました。小学館から出版された絵本もベストセラーとなり、1971年には、小学館漫画賞を授賞しています。
以降、続編も1974年に作られ、1989年にはリメイク版が製作されました。
吉田さんの作品を信じ世に出すための情熱がなければ、『ハッチ』は誕生しなかったかもしれません。素敵な作品を送り出してくれた、吉田竜夫さんとスタッフの皆さんに感謝です。

小学館の絵文庫『昆虫物語 みなしごハッチ』第1巻と第2巻
第6話まで、全6巻刊行されました。
ハッチのキャラクターデザインは、のちの『デメタン』や
『樫の木モック』に通じているようにも感じます。
当時は、1968年(昭和43年)3月から放映中の『巨人の星』や、1969年10月開始の『タイガーマスク』、12月開始の『アタックNO.1』など、スポ根ものが人気の主流でした。
ただ、タツノコプロを率いていた吉田竜夫さんは、どうしてもこの作品をやりたいと情熱を持っていました。「こういう作品を作りたいからタツノコプロを作った」とまで言っていたそうです。
親からはぐれた子どものミツバチが、母を探して旅をするという大元のストーリーと、キャラクターは吉田さんによって生み出されました。
これをどういう物語にしていくのか、それを託されたのが文芸部長だった鳥海尽三さんです。当初、吉田さんが描いてきたのは、ハチの女の子でした。
元々は、男の子を主人公に想定していたかもしれません。幼い頃に母親を亡くした吉田さんは、母親を探し求める主人公にご自身を投影していたとも考えられます。
主人公にあまり自分が重なりすぎることを避けて、あえて当初は女の子としていたのではないでしょうか。ですが鳥海さんのアドバイスもあり、吉田さんはあの印象的な男の子のハッチを描き上げます。
そして、生まれながらに悲しい宿命を背負ったハッチが、愛と勇気、忍耐の尊さを信じ、厳しい現実揉まれながら母に会える日を信じ成長していく物語を作り上げたのです。
吉田さんによる魅力的なキャラクター。鳥海尽三さんによる、甘いだけでない過酷な世界観の骨太なストーリー。中村光毅さんによるファンタジックかつ虫の視点のリアルな美術などが相まって、あのハッチの世界が生まれました。
ただ、吉田さんたちが創り上げた作品は前例が無いゆえに、テレビ局への売り込みは苦戦しました。
スポ根や特撮でも『ウルトラマン』など、戦いが描かれる潮流だった子ども番組枠に、メルヘンもののしかも有名児童文学の原作ものではない、ちっぽけな虫が主役のオリジナルを提案したのです。
各局から拒絶を受けた吉田さんたちは、まだ放送もスポンサーも決まっていないのに、情念のドラマの名手である演出家の芹川有吾さんを東映動画から招き、見切り発車で作品を作り始めます。そして、更に情熱を持って、売り込みをかけたのです。
努力の甲斐あって放送が始まると、視聴率もぐんぐん上がり、お茶の間では大人気となりました。小学館から出版された絵本もベストセラーとなり、1971年には、小学館漫画賞を授賞しています。
以降、続編も1974年に作られ、1989年にはリメイク版が製作されました。
吉田さんの作品を信じ世に出すための情熱がなければ、『ハッチ』は誕生しなかったかもしれません。素敵な作品を送り出してくれた、吉田竜夫さんとスタッフの皆さんに感謝です。

小学館の絵文庫『昆虫物語 みなしごハッチ』第1巻と第2巻
第6話まで、全6巻刊行されました。
ハッチのキャラクターデザインは、のちの『デメタン』や
『樫の木モック』に通じているようにも感じます。
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