アニメ豪華本のルーツ『宇宙戦艦ヤマト全記録集』 その1
- 2020/05/04
- 06:30
1977年(昭和52年)8月に公開された『宇宙戦艦ヤマト』劇場版。この前年あたりから、アニメファンは『ヤマト』に注目し始めていました。
1974年(昭和49年)10月からの初回放映時には、『アルプスの少女ハイジ』や円谷プロの『猿の軍団』という強力な他局番組に挟まれて、一部のファン以外にはその存在は気づかれていませんでした。
ところがその後、各地方局で再放送が繰り返されるうち、この作品の面白さに気づいたファンが徐々に拡がっていったのです。
そして、全国各地に続々とファンクラブが出来、その会員を集めると2万人を超す人数になっていました。この人気を知ったプロデューサーの西崎義展さんは、ファンの力を結集することにより劇場での上映を考えました。
元々、西崎さんは『ヤマト』の海外セールスのため、イスカンダル到着までを描く再編集版を制作していました。これを、国内でも劇場映画として公開しようとしたのです。
そして全国各地のファンクラブの会員に会いに行き、各地方のラジオ番組にリクエストのハガキを出してくれるように依頼するなど、ファンの力を使ってブームを世間に認知させようと精力的に動きました。
その結果劇場上映が決まると、当初の東急レックスの単館ロードショーの予定から次々に上映館を拡大し、全国各地で大ヒットを記録しました。
前売り券は、東京だけで15万枚を超えたそうです。LPレコードも予約だけで15万枚を超え、劇場公開の8月で30万枚を突破するヒットとなりました。
関連書籍も、当時は朝日ソノラマから出版された、ひおあきらさんのコミカライズ全3巻と、ハードカバーのノベライズ3冊などが、累計140万部を超えるベストセラーとなっていました。
そんな動きを見た、西崎さんも自ら『宇宙戦艦ヤマト』の書籍化を企画します。(つづく)

『宇宙戦艦ヤマト全記録集』チラシ
1974年(昭和49年)10月からの初回放映時には、『アルプスの少女ハイジ』や円谷プロの『猿の軍団』という強力な他局番組に挟まれて、一部のファン以外にはその存在は気づかれていませんでした。
ところがその後、各地方局で再放送が繰り返されるうち、この作品の面白さに気づいたファンが徐々に拡がっていったのです。
そして、全国各地に続々とファンクラブが出来、その会員を集めると2万人を超す人数になっていました。この人気を知ったプロデューサーの西崎義展さんは、ファンの力を結集することにより劇場での上映を考えました。
元々、西崎さんは『ヤマト』の海外セールスのため、イスカンダル到着までを描く再編集版を制作していました。これを、国内でも劇場映画として公開しようとしたのです。
そして全国各地のファンクラブの会員に会いに行き、各地方のラジオ番組にリクエストのハガキを出してくれるように依頼するなど、ファンの力を使ってブームを世間に認知させようと精力的に動きました。
その結果劇場上映が決まると、当初の東急レックスの単館ロードショーの予定から次々に上映館を拡大し、全国各地で大ヒットを記録しました。
前売り券は、東京だけで15万枚を超えたそうです。LPレコードも予約だけで15万枚を超え、劇場公開の8月で30万枚を突破するヒットとなりました。
関連書籍も、当時は朝日ソノラマから出版された、ひおあきらさんのコミカライズ全3巻と、ハードカバーのノベライズ3冊などが、累計140万部を超えるベストセラーとなっていました。
そんな動きを見た、西崎さんも自ら『宇宙戦艦ヤマト』の書籍化を企画します。(つづく)

『宇宙戦艦ヤマト全記録集』チラシ
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