魅力あふれる「タツ・マゴ作品」 その15
- 2014/12/20
- 08:20
■ タツノコ調作画の後継者・河合静男さん②
『剛Q超児イッキマン』から3年前、1983年に放映されたのが本家タツノコプロの『未来警察ウラシマン』でした。
この作品は、チーフディレクター・真下耕一さんのもと、作画もキャラクターデザインのなかむらたかしさんや、井口忠一さん、加藤茂さんたちそれぞれの作画監督の個性が競い合うような、若さあふれる作品でした。演出や美術、仕上げ、撮影、音楽、編集など各部門も頑張っていました。
未来都市ネオトキオに1983年からタイムスリップしたリュウの明るく溌剌とした活躍ぶりは、見ている側もワクワクするようなエネルギーがありました。まさに吉田竜夫さん亡き後、新世代による新たなタツノコパワーが湧き上がる感じを受けていたのです。
実は、この『ウラシマン』が当初放映されていたフジテレビ系日曜夜18時枠の時間は、タツノコ作品が定番でした。
私にとっても、物心ついた頃からこの森永製菓提供の時間帯は、タツノコアニメの放映が当たり前でした。当時から勝手に「タツノコ・アワー」と思い込んでいるくらいでした。
そして1979年の『科学忍者隊ガッチャマンF』から、1983年の『未来警察ウラシマン』まで、「タツノコ・アワー」作品を作画監督として支えてきたのが、誰あろう河合静男さんだったのです。
河合さんは『科学忍者隊ガッチャマンⅡ』では原画として参加し、続く『ガッチャマンF』、『とんでも戦士ムテキング』では作画監督を担当されました。次作の『ダッシュ勝平』(原作/六田登)では、作画監督としてタツノコプロでは異例のメインキャラクターデザインまで手掛けました。
それまでのタツノコ作品のキャラクターは、吉田竜夫さんや九里一平さん、天野喜孝さん、下元明子(現・河合ノア)さんなど、専門のデザイナーが手掛けていました。このことでも、当時のタツノコプロにどれだけその実力が認められていたかが分かります。
河合さんは、『ウラシマン』ではチーフ作画監督ではなく、各話作監としてシリーズに参加されました。そこでも、それまで手掛けてきた作品の流れを汲む、安定した作画を披露してくれました。(つづく)
『剛Q超児イッキマン』から3年前、1983年に放映されたのが本家タツノコプロの『未来警察ウラシマン』でした。
この作品は、チーフディレクター・真下耕一さんのもと、作画もキャラクターデザインのなかむらたかしさんや、井口忠一さん、加藤茂さんたちそれぞれの作画監督の個性が競い合うような、若さあふれる作品でした。演出や美術、仕上げ、撮影、音楽、編集など各部門も頑張っていました。
未来都市ネオトキオに1983年からタイムスリップしたリュウの明るく溌剌とした活躍ぶりは、見ている側もワクワクするようなエネルギーがありました。まさに吉田竜夫さん亡き後、新世代による新たなタツノコパワーが湧き上がる感じを受けていたのです。
実は、この『ウラシマン』が当初放映されていたフジテレビ系日曜夜18時枠の時間は、タツノコ作品が定番でした。
私にとっても、物心ついた頃からこの森永製菓提供の時間帯は、タツノコアニメの放映が当たり前でした。当時から勝手に「タツノコ・アワー」と思い込んでいるくらいでした。
そして1979年の『科学忍者隊ガッチャマンF』から、1983年の『未来警察ウラシマン』まで、「タツノコ・アワー」作品を作画監督として支えてきたのが、誰あろう河合静男さんだったのです。
河合さんは『科学忍者隊ガッチャマンⅡ』では原画として参加し、続く『ガッチャマンF』、『とんでも戦士ムテキング』では作画監督を担当されました。次作の『ダッシュ勝平』(原作/六田登)では、作画監督としてタツノコプロでは異例のメインキャラクターデザインまで手掛けました。
それまでのタツノコ作品のキャラクターは、吉田竜夫さんや九里一平さん、天野喜孝さん、下元明子(現・河合ノア)さんなど、専門のデザイナーが手掛けていました。このことでも、当時のタツノコプロにどれだけその実力が認められていたかが分かります。
河合さんは、『ウラシマン』ではチーフ作画監督ではなく、各話作監としてシリーズに参加されました。そこでも、それまで手掛けてきた作品の流れを汲む、安定した作画を披露してくれました。(つづく)
- 関連記事
-
- 魅力あふれる「タツ・マゴ」作品 その17
- 魅力あふれる「タツ・マゴ」作品 その16
- 魅力あふれる「タツ・マゴ作品」 その15
- 魅力あふれる「タツ・マゴ」作品 その14
- 魅力あふれる「タツ・マゴ」作品 その13
- テーマ:懐かしいアニメ作品
- ジャンル:アニメ・コミック
- カテゴリ:「タツ・マゴ」作品
- CM:0
- TB:0