あるマンガ家の航跡 天馬正人伝 その8
- 2020/09/13
- 06:30
■太田加英二デビュー (5)
天馬さんは、時代モノをメインに温もりのある児童マンガを目指していましたが、趣味は読書でした。若い頃からミステリーや伝奇もの、そしてSFなどの小説を読んでいました。
江戸川乱歩や、山田風太郎、柴田錬三郎、そして松本清張などの作家を好んでおられたのです。
創作意欲もあったようで、ご自身でも推理小説を執筆したこともありました。
実際に、若い頃には江戸川乱歩が主宰していた推理雑誌『宝石』に作品を応募し、佳作かなにかに入選したこともあったそうです。
1959年(昭和34年)雑誌『宝石』10月号では、同誌で公募された日本テレビ「夜のプリズム」放送用短編推理小説の受賞者が発表されていました。
その中の候補作として、天馬さんの「電話が鳴ると人が死ぬ」というタイトルも掲載されていたようです。
もしかしたら、これ以外にも、投稿した作品があったのかもしれません。
ミステリー好きの天馬さんでしたから、同じ趣味を持つ担当編集者とも読み終えた小説の話をよくしていました。
昭和32年(1957年)そんな天馬さんのもとに、あかしや書房より嬉しい打診が届きます。江戸川乱歩の少年向け小説「怪人20面相」シリーズのマンガ化でした。
明智小五郎とその助手である小林少年たち少年探偵団が活躍するこのシリーズは、原作はもちろんのこと当時ラジオドラマでも大人気でした。
これをシリーズで刊行し、複数のマンガ家にそれぞれ一作ずつ執筆してもらうということで、「大田加英二」こと天馬さんには「『魔法博士』をお願いしたい」との依頼だったのです。(つづく)

天馬正人『少年探偵 魔法博士』(原作/江戸川乱歩)
天馬さんは、時代モノをメインに温もりのある児童マンガを目指していましたが、趣味は読書でした。若い頃からミステリーや伝奇もの、そしてSFなどの小説を読んでいました。
江戸川乱歩や、山田風太郎、柴田錬三郎、そして松本清張などの作家を好んでおられたのです。
創作意欲もあったようで、ご自身でも推理小説を執筆したこともありました。
実際に、若い頃には江戸川乱歩が主宰していた推理雑誌『宝石』に作品を応募し、佳作かなにかに入選したこともあったそうです。
1959年(昭和34年)雑誌『宝石』10月号では、同誌で公募された日本テレビ「夜のプリズム」放送用短編推理小説の受賞者が発表されていました。
その中の候補作として、天馬さんの「電話が鳴ると人が死ぬ」というタイトルも掲載されていたようです。
もしかしたら、これ以外にも、投稿した作品があったのかもしれません。
ミステリー好きの天馬さんでしたから、同じ趣味を持つ担当編集者とも読み終えた小説の話をよくしていました。
昭和32年(1957年)そんな天馬さんのもとに、あかしや書房より嬉しい打診が届きます。江戸川乱歩の少年向け小説「怪人20面相」シリーズのマンガ化でした。
明智小五郎とその助手である小林少年たち少年探偵団が活躍するこのシリーズは、原作はもちろんのこと当時ラジオドラマでも大人気でした。
これをシリーズで刊行し、複数のマンガ家にそれぞれ一作ずつ執筆してもらうということで、「大田加英二」こと天馬さんには「『魔法博士』をお願いしたい」との依頼だったのです。(つづく)

天馬正人『少年探偵 魔法博士』(原作/江戸川乱歩)
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- テーマ:懐かしいアニメ作品
- ジャンル:アニメ・コミック
- カテゴリ:天馬正人伝
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