あるマンガ家の航跡 天馬正人伝 その15
- 2020/11/01
- 06:30
■たつみ勝丸の登場 (2)
『少年クラブ』誌上で天馬正人名義で『スーパーゼット』(原作/宮川一郎)、たつみ勝丸名義では『ジャガーの目』(原作/高垣眸)を連載するようになった天馬正人さん。
昭和34年の夏からは、他誌での執筆の傍ら、同じ月刊誌に二本連載という多忙の時代が始まります。
しかも講談社から新しく創刊された週刊誌『少年マガジン』からも、執筆依頼が来ました。創刊したばかりで試行錯誤中の同誌に、新たなSFヒーローものを描いて欲しいとのリクエストです。
実はこの年、天馬さんは他にも、集英社の月刊誌『おもしろブック』でも、阿蘭脱人名義で、堀江卓さんの『少年ホーク』の代作なども手掛けていました。
しかも『冒険王』では、12月号から高垣眸さん原作のテレビ化された『怪傑黒頭巾』のマンガ版の連載が始まっていました。
天馬さんは堀江さんからの信頼も厚く、堀江さんが『少年』で連載していた『矢車剣之助』の締め切りが迫りピンチになった際は、よく代筆などの手伝いにも駆り出されたそうです。
また桑田二郎さんの『月光仮面』も、楠高治さんたちと一緒に原稿執筆を手伝うため、講談社の別館にかんづめになったりしていました。
当時、多数の連載を抱え、桑田二郎さんや堀江さんの手伝いでも頼りにされていたのは、早描きが出来、体力にも自信があったからでしょう。
ですが、月刊誌に3本と週刊誌の連載を持ち、他にも単行本などを執筆しなければならなくなった天馬さんは、連日執筆に追われ寝るヒマもなくなりました。
毎日締め切りに追われる日々。いくら頑張っても、時間と体力には限りがあります。そして、睡眠時間を削ってまで日々執筆を続けた天馬さんは、ついに過労から身体を壊されてしまいました。(つづく)

阿蘭脱人『少年ホーク』(集英社『おもしろブック』昭和34年11月号付録)
『少年クラブ』誌上で天馬正人名義で『スーパーゼット』(原作/宮川一郎)、たつみ勝丸名義では『ジャガーの目』(原作/高垣眸)を連載するようになった天馬正人さん。
昭和34年の夏からは、他誌での執筆の傍ら、同じ月刊誌に二本連載という多忙の時代が始まります。
しかも講談社から新しく創刊された週刊誌『少年マガジン』からも、執筆依頼が来ました。創刊したばかりで試行錯誤中の同誌に、新たなSFヒーローものを描いて欲しいとのリクエストです。
実はこの年、天馬さんは他にも、集英社の月刊誌『おもしろブック』でも、阿蘭脱人名義で、堀江卓さんの『少年ホーク』の代作なども手掛けていました。
しかも『冒険王』では、12月号から高垣眸さん原作のテレビ化された『怪傑黒頭巾』のマンガ版の連載が始まっていました。
天馬さんは堀江さんからの信頼も厚く、堀江さんが『少年』で連載していた『矢車剣之助』の締め切りが迫りピンチになった際は、よく代筆などの手伝いにも駆り出されたそうです。
また桑田二郎さんの『月光仮面』も、楠高治さんたちと一緒に原稿執筆を手伝うため、講談社の別館にかんづめになったりしていました。
当時、多数の連載を抱え、桑田二郎さんや堀江さんの手伝いでも頼りにされていたのは、早描きが出来、体力にも自信があったからでしょう。
ですが、月刊誌に3本と週刊誌の連載を持ち、他にも単行本などを執筆しなければならなくなった天馬さんは、連日執筆に追われ寝るヒマもなくなりました。
毎日締め切りに追われる日々。いくら頑張っても、時間と体力には限りがあります。そして、睡眠時間を削ってまで日々執筆を続けた天馬さんは、ついに過労から身体を壊されてしまいました。(つづく)

阿蘭脱人『少年ホーク』(集英社『おもしろブック』昭和34年11月号付録)
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- テーマ:懐かしいアニメ作品
- ジャンル:アニメ・コミック
- カテゴリ:天馬正人伝
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