あるマンガ家の航跡 天馬正人伝 その21
- 2020/12/13
- 06:30
■「かみくずおやこ」 (4)
天馬正人さんがたつみ勝丸名義で、1960年(昭和35)年から『少年クラブ』(講談社)に連載していた『かみくずおやこ』。
少しずつ人気も出始めて、天馬さんもご自身のライフワークとして集中しようと決意していたのですが、『少年クラブ』の休刊により、1962年(昭和37)年12月号で終わらさざるをえなくなりました。
これは時代の流れでもありました。月刊誌から週刊誌へと、いつしか少年マンガ雑誌の主流も変わっていたのです。
天馬さんも、創刊間もない『週刊少年マガジン』に『パトロールQ』(原作/伊藤照夫)という連載を持っていましたし、少年マンガの主な舞台が週刊誌に移行しつつあったことは、肌で感じていました。
この頃になると毎週放送されるテレビの影響もあり、雑誌も月刊誌から週刊誌へと世間のサイクルも変わっていたのです。
天馬さんも元気な時でしたら、月刊誌や週刊誌など何誌も掛け持ちして連載を描くことはできました。ですが、毎週の連載を続けるとなると、病を経た後では体力的にもきつくなります。
なにより、もう少し読者である子どもたちに寄り添うような温もりのある作品を描きたいと思っていたのですが、そのような作品を受け入れてくれる編集部も当時は他にはありませんでした。
以前から付き合いのあった学年誌からは、童話や絵物語の構成などで声を掛けてくれる編集者もいました。できれば、本格的に児童文学の道へ進もうとも考えていましたが、それだけでは生活していくことも大変になるでしょう。
これからどうしていくべきなのか、いろいろと悩み思案しているそんな時、天馬さんのもとにある誘いが来ます。(つづく)
『かみくずおやこ』切り抜きに書かれていた天馬さんのメッセージ
- 関連記事
-
- あるマンガ家の航跡 天馬正人伝 その22
- あるマンガ家の航跡 天馬正人伝 第2章【承前】
- あるマンガ家の航跡 天馬正人伝 その21
- あるマンガ家の航跡 天馬正人伝 その20
- あるマンガ家の航跡 天馬正人伝 その19