1977年の出版ラッシュ②
- 2015/02/28
- 08:29
■ 1977年の衝撃(後編)
1970年代頃の作品は、作画監督によって毎回絵柄が違うことも多かったので、いつのまにかお気に入りの回のスタッフの名前は、自然と意識するようになってました。
例えば、吉田竜夫さん、須田正巳さん、金山明博さん、荒木伸吾さん、小松原一男さん、野田卓雄さん、杉野昭夫さん、岡迫亘弘さん、宮本貞雄さん、二宮常雄さん、河合静男さん、塩山紀生さん、佐々門信芳さん、高橋信也さん、石黒昇さん、鳥海永行さん、富野喜幸(現・由悠季)さん、出崎統さんなどなど、特に魅力的に感じた作品にいつも名前が出てくるスタッフの方々は、一体どんな人なんだろうと思うようになりました。
たとえ同じ作品であっても、「何故この人たちが手掛ける回は違うのだろうか」と、気になっていたのです。
当時は、まだアニメ専門誌などはありません。新聞や一般誌にもアニメの記事や、ましてやスタッフのインタビューなどはまったく出ませんし、子供向けのテレビ誌にもそんなマニアックな記事など出るわけもありません。
あくまで、オープニング、エンディングのスタッフテロップからしか情報はありませんでした。気になった回は、スタッフ名をノートに書き留めるようなこともやってました。
極端な話、当時は全部で何話あるのかすら、最終回まで通して見ないと分らなかったのです。ですから本当に、そんなスタッフ情報や基本的な作品情報に渇望していました。
そこに1977年(昭和52年)の『宇宙戦艦ヤマト』の劇場版公開時期前後から始まったアニメブーム以降、アニメ雑誌やムックなどの出版物が続々登場し始めたのです。
そうなると今度は、それらを購入するためのおこずかいのやり繰りに苦労するという新たな悩みも出てきましたが。
ムックやアニメコミック、資料集、ノベライズなどのアニメファン向けの出版物は、だいたいこの時期に出揃ったと言ってもいいでしょう。
この最初期に販売された私にとっても思い出深い出版物を、順を追って取り上げます。(つづく)

当時のアニメブームを牽引していたのは『宇宙戦艦ヤマト』でした。出版物も『ヤマト』関連書が多数出されています。
書籍ではありませんが、左上の劇場版のパンフレットは洋画のパンフのような構成で、映画館で手にしたときには
感動しました。
1970年代頃の作品は、作画監督によって毎回絵柄が違うことも多かったので、いつのまにかお気に入りの回のスタッフの名前は、自然と意識するようになってました。
例えば、吉田竜夫さん、須田正巳さん、金山明博さん、荒木伸吾さん、小松原一男さん、野田卓雄さん、杉野昭夫さん、岡迫亘弘さん、宮本貞雄さん、二宮常雄さん、河合静男さん、塩山紀生さん、佐々門信芳さん、高橋信也さん、石黒昇さん、鳥海永行さん、富野喜幸(現・由悠季)さん、出崎統さんなどなど、特に魅力的に感じた作品にいつも名前が出てくるスタッフの方々は、一体どんな人なんだろうと思うようになりました。
たとえ同じ作品であっても、「何故この人たちが手掛ける回は違うのだろうか」と、気になっていたのです。
当時は、まだアニメ専門誌などはありません。新聞や一般誌にもアニメの記事や、ましてやスタッフのインタビューなどはまったく出ませんし、子供向けのテレビ誌にもそんなマニアックな記事など出るわけもありません。
あくまで、オープニング、エンディングのスタッフテロップからしか情報はありませんでした。気になった回は、スタッフ名をノートに書き留めるようなこともやってました。
極端な話、当時は全部で何話あるのかすら、最終回まで通して見ないと分らなかったのです。ですから本当に、そんなスタッフ情報や基本的な作品情報に渇望していました。
そこに1977年(昭和52年)の『宇宙戦艦ヤマト』の劇場版公開時期前後から始まったアニメブーム以降、アニメ雑誌やムックなどの出版物が続々登場し始めたのです。
そうなると今度は、それらを購入するためのおこずかいのやり繰りに苦労するという新たな悩みも出てきましたが。
ムックやアニメコミック、資料集、ノベライズなどのアニメファン向けの出版物は、だいたいこの時期に出揃ったと言ってもいいでしょう。
この最初期に販売された私にとっても思い出深い出版物を、順を追って取り上げます。(つづく)

当時のアニメブームを牽引していたのは『宇宙戦艦ヤマト』でした。出版物も『ヤマト』関連書が多数出されています。
書籍ではありませんが、左上の劇場版のパンフレットは洋画のパンフのような構成で、映画館で手にしたときには
感動しました。
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