山本暎一さんに感謝
- 2021/10/24
- 06:30
アニメーション監督の山本暎一さんが、9月7日に88歳で亡くなられました。
山本さんは、横山隆一さんのおとぎプロのご出身です。手塚治虫さんがアニメ制作に乗り出すことを知り、虫プロ設立に参加されました。
そして、虫プロダクションの設立メンバーの一人として、第一作の『ある街角の物語』から手塚さんのアニメ制作に参加されます。
1963年(昭和38年)1月から放映された『鉄腕アトム』では、当初から作画、演出を担当し、作品を支えました。また『ジャングル大帝』では全体を指揮する製作(プロデューサー)として、一話完結のカラー・テレビシリーズを成功させたのです。
劇場版作品では『千夜一夜物語』や『クレオパトラ』、そして『哀しみのベラドンナ』の3部作の監督を担当されました。どれも印象的な長編作品です。
特に『哀しみのベラドンナ』は従来のセル画の表現ではなく、画用紙に描かれた水彩画を一枚ずつ動かす手法を取り入れ、幻想的な映像を目指しました。予算と納期の問題もあって、この手法は一部にとどまりましたが、独特の雰囲気のこの作品には今でも多くのファンがいます。
『宇宙戦艦ヤマト』では西崎義展さんのブレーンとして、最初の企画段階から関わっていらっしゃいます。これは虫プロ最後の作品となった『ワンサくん』のチーフディレクターを引き受けられたことで、同作のプロデューサーであった西崎さんと縁が出来たからでしょう。
まだ松本零士さんが参加される前の企画書に載っていたイラストは、山本さんが描かれたものです。放映決定後はディレクターも担当される予定でしたが、スケジュールが合わなかったことでストーりーやシナリオでの参加となりました。
ただ、企画時から参加されていたこともあり、後のシリーズにも様々な形で関わられました。
自伝的小説『虫プロ興亡記 亜仁明太の青春』(新潮社)も、忘れることはできません。1999年に発表されたこの小説によって、虫プロの誕生から崩壊にいたるまでの内情が明かされたのです。
倒産時の生々しい出来事なども率直に綴られており、ショッキングな内容でもありました。
手塚ファンからは虫プロ崩壊の原因になったと思われている西崎さんとの良好な関係など、物事は一概には考えられないということも、その姿勢から教えられた気もします。
虫プロから独立して荒木伸吾さんや斉藤博さんが在籍された伝説のプロダクション・ジャガード設立に、そもそもは山本さんが大きく関わっていたそうです。
山本さんは、晩年も様々な新しいアニメの企画を練っておられました。以前伺ったところでは、半村良さんの『妖星伝』もその中にあったそうです。できればぜひ見せていただきたかった作品です。
これまで印象に残る様々な作品を手掛けてこられた山本暎一さんに感謝いたします。

『哀しみのベラドンナ』原画
タップ穴を開けた画用紙に一枚ずつ彩色されていました。
山本さんは、横山隆一さんのおとぎプロのご出身です。手塚治虫さんがアニメ制作に乗り出すことを知り、虫プロ設立に参加されました。
そして、虫プロダクションの設立メンバーの一人として、第一作の『ある街角の物語』から手塚さんのアニメ制作に参加されます。
1963年(昭和38年)1月から放映された『鉄腕アトム』では、当初から作画、演出を担当し、作品を支えました。また『ジャングル大帝』では全体を指揮する製作(プロデューサー)として、一話完結のカラー・テレビシリーズを成功させたのです。
劇場版作品では『千夜一夜物語』や『クレオパトラ』、そして『哀しみのベラドンナ』の3部作の監督を担当されました。どれも印象的な長編作品です。
特に『哀しみのベラドンナ』は従来のセル画の表現ではなく、画用紙に描かれた水彩画を一枚ずつ動かす手法を取り入れ、幻想的な映像を目指しました。予算と納期の問題もあって、この手法は一部にとどまりましたが、独特の雰囲気のこの作品には今でも多くのファンがいます。
『宇宙戦艦ヤマト』では西崎義展さんのブレーンとして、最初の企画段階から関わっていらっしゃいます。これは虫プロ最後の作品となった『ワンサくん』のチーフディレクターを引き受けられたことで、同作のプロデューサーであった西崎さんと縁が出来たからでしょう。
まだ松本零士さんが参加される前の企画書に載っていたイラストは、山本さんが描かれたものです。放映決定後はディレクターも担当される予定でしたが、スケジュールが合わなかったことでストーりーやシナリオでの参加となりました。
ただ、企画時から参加されていたこともあり、後のシリーズにも様々な形で関わられました。
自伝的小説『虫プロ興亡記 亜仁明太の青春』(新潮社)も、忘れることはできません。1999年に発表されたこの小説によって、虫プロの誕生から崩壊にいたるまでの内情が明かされたのです。
倒産時の生々しい出来事なども率直に綴られており、ショッキングな内容でもありました。
手塚ファンからは虫プロ崩壊の原因になったと思われている西崎さんとの良好な関係など、物事は一概には考えられないということも、その姿勢から教えられた気もします。
虫プロから独立して荒木伸吾さんや斉藤博さんが在籍された伝説のプロダクション・ジャガード設立に、そもそもは山本さんが大きく関わっていたそうです。
山本さんは、晩年も様々な新しいアニメの企画を練っておられました。以前伺ったところでは、半村良さんの『妖星伝』もその中にあったそうです。できればぜひ見せていただきたかった作品です。
これまで印象に残る様々な作品を手掛けてこられた山本暎一さんに感謝いたします。

『哀しみのベラドンナ』原画
タップ穴を開けた画用紙に一枚ずつ彩色されていました。